No.956 その種に託された思い
私は、大分市内にある雑木林づきの団地に住んでいます。その団地と雑木林の境界に当たる石垣塀の上に、数株の浜木綿が咲いています。初夏の頃から咲き始めました。
「こんな山付きの団地の一角に、なぜ浜木綿が?」
班長さんならご存じかもと思い、昨日、汗を流して働いていた彼に声を掛けました。
「隣のTさんのお父さんが、種を蒔いたようですよ。山の地面には根付かなかったようですが、側溝近くの種は伸びました。今は、私が根を増やしています。」
とのことでした。人の思いが、今もこうして受け継がれていました。
この「浜木綿」の由来は、「木綿(ゆう)」(コウゾの皮から採った白い繊維で、神事の時に榊につけて垂れ下げたもの)に白い花がよく似ているからだそうです。
「浜木綿」の歌は、『万葉集』にも見られますが、平安時代後期に成立した4番目の勅撰集『後拾遺和歌集』巻十五、雑一の道命阿闍梨(974年~1020年)の歌が有名です。
「忘るなよ 忘ると聞かば み熊野の 浦の浜木綿 うらみかさねん」(885番)
(私のことを忘れないでおくれよ。忘れたと聞いたならば、熊野の浦の浜木綿のように、あなたをいつまでも繰り返し恨みますよ。)
掛詞が利いていて分かり易く、恋の駆け引きや、思いを伝える時に効果的なフレーズです。
鎌倉時代初期の成立と言われる『建礼門院右京大夫』(日記的歌集)にも浜木綿の歌が見られます。その詞書に次のようにあり、歌が続いています。
(恋人の)平資盛が、父の平重盛と共に熊野に詣でたと私(右京大夫)
は聞いたのですが、帰って来ても暫く音沙汰がないので、
「忘るとは きくともいかが 三熊野の 浦のはまゆふ うらみかさねん」(158番)
(私のことなぞ忘れてしまったと聞いても、どうしてくどく恨んだりしましょうか。恨んだりはしません。)
この歌は、明らかに道命阿闍梨の歌を下敷きにしながら、
「人は忘れ去られたと聞けば恨むのでしょうが、私は恨んだりしません。」
と逆手に取った発想で、恋人に心の内を呼び掛けているように思われます。
平資盛に正妻が決まった後も関係は続きますが、壇ノ浦の戦いで、遂に海の藻屑となりました。彼女にとっては思い出の濃い「浜木綿」です。私には、悲しい哀悼や追憶の色に見えたりします。
さて、白い「浜木綿」の花言葉には、「汚れがない」とか「どこか遠くへ」などがあるそうです。浜木綿の種が波に乗って漂流し、新しい場所に根付き、そこで花を咲かせます。
Tさんのお父さんは、我が子が得た新居に、そんな思いを重ね合わせ、浜木綿を根付かせたかったのではなかろうかと思いました。それはまた、お父さんを思い出のよすがにもなることでしょう。
※画像は数日前に私が撮影した団地内のあの「浜木綿」の1葉です。Tさんの家の正面にそれはあり、家族の歴史を穏やかに見つめているようです。