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No.1279 恋の行方は?

6月中旬頃から、校内の中庭で大きく育った「合歓」の花が咲いています。画像は、梅雨に濡れ、しっとりとした風情の1葉です。
 
日本語名の「ねむ」(ねぶ)は、夜になるとこの葉が閉じて「眠る」ように見えることからきているとか。 中国で「合歓」と呼んでいた樹木と同じだったので、「合歓」と書いて「ねむ」と読むようになったのだそうです。

では、中国でいう「合歓木」は、どんな意味なのでしょう?
日没になると葉が合わさることから「男女が共寝して相歓び合う」とか「夫婦円満」という意味を付したのだとか。その発想が、ココロニクイですね。


細い淡紅色のグラデーションの花は、女性の長い付けまつげを思わせます。日没になり、葉が合掌して閉じるのと入れ替わるように開花するのだと言います。

古く『万葉集』には3例「合歓(ねぶ)」が詠まれています。そのうちの2首は紀郎女(きのいらつめ)と大伴家持の贈答歌です。紀郎女は「合歓の花」と「ツバナの花」を折り取って2首ずつの贈答となっていますが、ここでは「合歓の花」の歌だけを紹介します。

「昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓木(ねぶ)の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ」(巻8・1461番歌 紀郎女)
(昼間は綺麗な花を咲かせ、夜になればぴったりと葉を合わせ、好きな人に抱かれるように眠る合歓の木の花を、主人の私だけが見るべきでしょうか。お前さんも御覧なさいよ。)

この歌は紀郎女が大伴家持に合歓木の花を切り添えて贈った歌です。大伴家持は22歳前後、紀郎女は家持よりも10歳ほど年上だったそうで、天智天皇の曽孫である安貴王の妻でした。ところが人妻の郎女は、家持をからかうように合歓の花に寄せて共寝を誘っているのです。中国由来の「合歓の木」の意味を踏まえた、意味深長な戯れ歌を詠みかけたのです。

さて、「♪あなたな~らどうする~?」(byいしだあゆみ)
大伴家持はこう返歌しています。

「我妹子(わぎもこ)が 形見の合歓木は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも」 
(巻8の1463 大伴家持)
(あなたが下さった合歓の木は、花だけ咲いて実を結ばないのではございませんか?あなたのお気持ちは、口先だけで本気ではないのでしょう )

「実を結ばない」つまり、家持は「恋の挑発をやんわりと切り返し」ています。そう来たか!恋の手練手管にのるまいとする受け答えの歌でしょうか?
 
しかし、合歓木は、マメ科ネムノキ属の落葉高木の植物です。実際は、秋になると、エンドウ豆に似た果実を房状につけるのだそうです。このことを知ってか知らずか、家持はあのように詠みました。いや、実が生ると知っていたら、歌が変わったのでしょうか?

今から1300年近くも前に交わした、紀郎女と大伴家持の贈答歌は、この「合歓の木」の花に触発されてのことでした。燃え上がるような一途な恋ではなく、戯れて楽しむ恋心の風情です。以来、合歓の木や花は多くの歌人たちに詠まれました。
 
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
元禄2年(1689年)6月17日、奥の細道の旅に出た松尾芭蕉の象潟(秋田県)での作品は、その象徴的な名句だと思います。今から335年前のことです。芭蕉に同行した河合曾良の書き残した「俳諧書留」には、「象潟 六月十七日 朝雨降」とありました。