No.653 暮れ方色の脳細胞
出来るなら、担ぎたくない御輿だったはずです。
「オヤジさん。言うといたるがの。あんたはわしらが担いどる御輿じゃないの。組がここまでになるのに誰が血流しとるの。御輿が勝手に歩けるいうなら、歩いてみいや。おお。わしの言うとおりにしとりゃ、わしらも黙って担ぐわ。のお、おやっさん。」
映画『仁義なき戦い』で、組の若頭坂井鉄也(松方弘樹)から山守義雄組長(金子信夫)に放たれた名台詞にズキュンとやられます。宮仕えの悲しさです。言いたい事は山ほどあります。時には「はぶたかやし」(「腹を立てる」「激怒する」)て「ケツまくり」(「居直って喧嘩腰になる」)たくなることの一度や二度は、どなたにもご経験がおありでは?
大分合同新聞に2016年6月から連載された安部龍太郎氏の小説『大友宗麟の海』(第11話)で
「『わしらは人買いじゃなか、戦の時は死番となって大友家のために働いてきた侍じゃ。お前らがいい扶持をもらって偉そうにしておられるとは、わしらのお蔭ぞ。』」
というセリフがありました。「そうだそうだ!」と読みながら快哉を叫んだ人々も少なくなかったのではないでしょうか。
定年退職して3年目のことでしたが、心の中には、あの事、この時、その場面での報われぬ想いのトラウマの残像がチラリ・ホラリと蒸し返すように思い浮かびます。そんな残像を蹴散らして生きたいと思いました。
しかし、改めて考えると、担いだからこそ見えた世界がありました。また、担いだからこそ養えた家族もありました。そして、いくつもの過ちを繰り返し、叱咤激励されながら、なんとか定年退職を迎えられたのだと思います。
退職してからすでに9年が経ちます。精神的には「サンデー毎日」な生活もすっかりなじんで来ました。「多忙」から「多暇」への見事なトラバーユ?いささか持て余し気味の時間は、弛緩する神経の温床になりつつあります。「灰色の脳細胞」の持ち主の探偵ポワロと違い、伸びきった「暮れ方色の脳細胞」を冠きながらのトホホな我が後半生です。
※画像は、クリエイターBlue Watersさんの「仁義なき戦い」(説明)をかたじけなくしました。お礼申し上げます。