No.1446 あったかいんだから!
12月5日(木)、午後4時半に大分から中津に着きました。寒い日でした。
駅裏に行きたいお醤油屋さんがありました。しかし、スマホの地図で見てもよくわかりません。若者なら、すぐにアプリを使って地図の現地まで誘導案内してもらうのでしょう。しかし、こちとら1950年代生まれの生粋の昭和っ子です。アナログっ子です。「人間、口と足さえあれば、どこまでも行ける」と信じて疑わない、おめでたき人種です。
そこで、駅裏のアーケード街近くのこぢんまりとした店で道を尋ねました。30代のぽっちゃり系の女性が、机について何やら書いていました。醤油屋さんの名前を聴いて首をかしげましたが、嫌な顔一つせず、すぐにスマホを取り出して調べてくれました。
「この先の中華料理屋さんの細い路地を右に入ってまっすぐ行って、四辻を通り抜けて下さい。」
と笑顔で教えてくれました。ああ、こっちで良かったのかと思いながら歩きました。
しかし、ずいぶん進みましたが、醤油屋さんらしい店構えが全く見当たりません。運よくすぐそばにあった地元の顔のような酒屋さんに飛び込んで、近くにお醤油屋さんがないか聞きました。店の番をしていたのは痩身の20代の背の高い若者で、後ろでキリッと髪を結んでいます。髪の側面は、フランスの国旗の三色で染められていました。
「ありゃ、尋ねる人を間違えたか?」そんな印象がありました。彼は、ずっと無表情のまま、まずパソコン上の近辺の地図で探してくれたようですが、すぐに分かりません。次に醤油屋さんの店名を入力して調べ直してくれました。と、そこに電話が掛かって来ました。彼は大きい声で奥の人を呼びました。先輩格の人が出てくると、その人に電話の応対を頼みました。そして、私の依頼の店を探し続けてくれたのです。
「あっ、これか?」という表情をし、確認すると、すぐ表に出ました。
「この道をまっすぐ行った右手にありますよ。お気をつけて!」
初めて笑顔を見せて、そう言うとサッと店に戻っていきました。「せめて、お名前を!」と言いたいくらいにカッコいい若者でした。見た目で心配した私が、阿呆でした。私は、見落とし、行き過ぎていました。
それにしても、店にとっては何一つ得が無く、初めて会った尋ね人に温かい人たちでした。中津の人は、温かいんです。
おかげで、見落としたお店が見つかりました。古風なたたずまいのお醤油屋さんで、ディスプレイもなく、ごく普通の一軒家でした。気づかないほど小さな看板が掲げてありました。ずっと気になっていた方にお線香を供えることが出来、胸のつかえがおりました。
今から半世紀近くも前の1978年(昭和53年)に「蛍川」(ほたるがわ)で芥川賞に選ばれたのは宮本輝氏です。受賞が決まった時、一番先に家に届いた電報は、筑摩書房の元編集部長・原田奈翁雄氏からのものだったそうです。これが、素晴らしい電文でした。
「ココロヒキシメ ショシンワスルベカラズソロ ニンゲンヲミルメイヨイヨフカクツメタク ソシテアタタカカランコトヲ」
もう、私のように普通に生きている爺さんでも「ズッキューン!」とやられてしまいました。忘れてはならない「心と言葉」を『命の器』(宮本輝、講談社文庫、2005年)「芥川賞と私」の中で初めて知りました。私は、あの温かい中津の女性と若い男性の親切に触れて、この言葉を思い出しました。何回書いても何回聞いても、いい言葉です。
「ココロヒキシメ ショシンワスルベカラズソロ ニンゲンヲミルメイヨイヨフカクツメタク ソシテアタタカカランコトヲ」
寒さが、少し緩んだ気がしました。
※画像は、クリエイター・seikoさんの、タイトル「おじいちゃんと孫と、嫁」の1葉をかたじけなくしました。その説明に、
「薪ストーブ。良い火が出来上がったところ。」
とありました。今日も、暖かい火が燃えていることでしょうか。お礼申し上げます。