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No.540 ドクダミ、へー、そうなんだ!

先週の雨の日、学校の玄関わきで、実のカミさんが車で迎えに来るのを待っていたら、目線が下に向いていたからか、雨に打たれる「ドクダミ」の花に気づきました。
 
毒々しげなその名前ですが、解毒や痛み止めに効果があるという意味の「毒痛み」が転訛したものとか、解毒(毒を矯める)という意味の「毒矯(た)め」が転訛したものということで「ドクダミ」と言われるようになったようです。
 
新村出編『広辞苑』(第三版 岩波書店)には、 
「どくだみ『蕺草』(毒を矯める・止める、の意)。江戸時代中頃からの名称」
とあるそうで、ドクダミは「蕺」(シフキ、またはシブキ)と呼ばれていたとも言います。現在のような「ドクダミ」の呼称は、江戸時代中頃以降のことなのですね。
 
4枚の白い花びらと見えるのは、じつは苞(ほう=蕾を包むために葉が変形したもの)だそうで、十字の真ん中にある淡い黄色の穂状のものが花だとか。薬効の多いことから「十薬」ともいわれ、便通、利尿、解毒、解熱、化膿止め、かゆみ止めなどの作用や強い抗菌力があるそうです。じて飲んだり、おできや湿疹の患部に貼ったりもするといいます。
 
薬草として重宝するくらいです。さぞ古典文学作品にも登場した事だろう思いましたが、研究者によると、『万葉集』にも、『枕草子』にも、江戸期の俳人、芭蕉・蕪村・一茶等の句集にも登場しないのだそうです。ただ一つ、藤原道綱母の『蜻蛉日記』の石山寺詣での段で次のように書かれているそうです。

「かくのみ心尽くせば、ものなども食はれず。『しりへのかたなる池に蕺(しぶき)といふもの生ひたる』といへば、『取りて持て来』といへば、持て来たり。笥(け)に<「汁に」?>あへしらひて、柚おし切りてうちかざしたるぞ、いとをかしうおぼえたる。」
 (このように心労を重ねているので、食欲がない。「寺の裏の池にしぶきというものが生えています」、と言うので、「取って持って来て」と言うと、持って来た。器に盛り<汁にあしらって?>、柚子を切って添えているので、なかなか美味しいと思った)
 
かりにこれを970年(天禄元年)7月の頃の石山詣でとするなら、作者は34歳の頃だったでしょうか。今から1050年以上も前のお話です。「しぶき」の食べ方も「笥(け)にあへしらひて」なら、「生のまま器に盛った」と解されますし、「汁にあへしらひて」なら、「煮て、汁に仕立てて」と考えられます。
 
『日本古典文学大系』中の『かげろふ日記』の校注者・川口久雄氏は、この「しぶき」を「ドクダミ」とする説には否定的で、この段の頭注には、
「『しぶくさ』 今俗に『ぎしぎし』という。旧注『どくだみ』とするは非。」
と説明され、さらに補注70には、
「本日記の旧注すべてこれをドクダミとするけれども、臭酸があって小毒あり、薬用にしか供さないドクダミを、珍重するいわれがない。これは牧野博士のいわゆるドクダミではなくしてシブクサをさすものであろう。子供がいたどりと同じく幼芽をかんだりする。(以下、略)」
としてありました。「ギシギシ」は子どもの頃、道端に生えていたものを食べたことがある酸味のある植物です。食用は可能だと思います。
 
若いドクダミなら、洗うだけで全体を食べることができるそうです。このほか、天婦羅にしたり、佃煮にしたりしても美味しいそうですが、花が開いたら、茎とか硬くて食べられないので、先端の葉だけを食べるという食リポを見つけました。ただし、ドクダミの油炒めはあっても、煮た料理は気づきませんでした。中国や東南アジアでは食材に用いられていました。私は、ドクダミ茶しか知りませんでした。
 
「ドクダミ」と「シブクサ」が同じものなのか、似て非なるものなのか、全く別物なのか、真偽の程は分かりませんが、意外なことに古典作品での登場例としては、稀有な植物だということを知りました。
 
 雨の日に、ふと気づいたドクダミに端を発して、私の中で予想外の発見がありました。