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No.1340 母のおむすび

スウプに限らず、お母さまの食事のいただき方は、頗る礼法にはずれている。お肉が出ると、ナイフとフオクで、さっさと全部小さく切りわけてしまって、それからナイフを捨て、フオクを右手に持ちかえ、その一きれ一きれをフオクに刺してゆっくり楽しそうに召し上がっていらっしゃる。また、骨つきのチキンなど、私たちがお皿を鳴らさずに骨から肉を切りはなすのに苦心している時、お母さまは、平気でひょいと指先で骨のところをつまんで持ち上げ、お口で骨と肉をはなして澄ましていらっしゃる。そんな野蛮な仕草も、お母さまがなさると、可愛らしいばかりか、へんにエロチックにさえ見えるのだから、さすがにほんものは違ったものである。骨つきのチキンの場合だけでなく、お母さまは、ランチのお菜のハムやソセージなども、ひょいと指先でつまんで召し上る事さえ時たまある。
「おむすびが、どうしておいしいのだか、知っていますか。あれはね、人間の指で握りしめて作るからですよ」
 とおっしゃった事もある。
 本当に、手でたべたら、おいしいだろうな、と私も思う事があるけれど、私のような高等御乞食が、下手に真似してそれをやったら、それこそほんものの乞食の図になってしまいそうな気もするので我慢している。

太宰治『斜陽』 初出「新潮」、1947年、青空文庫より

「恋と革命のため」に生きようとする姉のかず子、麻薬中毒で破滅してゆく弟の直治、そして、元華族の最後の貴婦人である母、戦後に生きる己れ自身を戯画化した流行作家上原。没落貴族の家庭を舞台に、四者の織り成す滅びの姿を描いた作品。1947年(昭和22年)に発表され、「斜陽族」の言葉を生んだ、太宰文学の代表作とも言われます。
 
「お母さま」は、かく語りき。
「おむすびが、どうしておいしいのだか、知っていますか。あれはね、人間の指で握りしめて作るからですよ」
正直言って、全く同感です。子どもの頃、どれだけ母の握った三角おにぎりを食べたか分かりません。田んぼの田植えは、数人に手伝ってもらいましたが、その時の「こびれ」の混ぜご飯のおにぎりの味は忘れられません。母は、その日、50個以上握ったと思います。今のように過敏なほどの衛生的な気遣いは全くありませんでしたが、お腹を壊した経験など一度もありません。今は、誰が言い出したか知りませんが、癇性過ぎませんか?

ところが、最近、おむすび(おにぎり)の握り方についての新提案を知りました。その名も「クレハおにぎりプロジェクト」さんです。いわく、

「炊き立てのごはんで作るおにぎりはたまらないおいしさです。しかし、炊き立てのごはんはとても熱く、うまく握れないこともあるでしょう。
そんな時には無理をせず、『コロコロ』しておにぎりを作ってみませんか。
①ラップをお広げたお茶碗にご飯を入れる
②ごはんを回すように軽く振る
③最後に形を整えて完成!

ぜひ試してみてくださいね🍙✨」

「クレハおにぎりプロジェクト」

「お茶碗でコロコロしながら作ったおにぎりには、実は意外なメリットがあります。
それは、ふんわりとした食感に仕上がることです。
おにぎりを手で握る時、ついギュギュッと力を入れてしまうと、お米の間の空気が抜けたり、お米そのものが潰れてしまったりなど、食感がいまいちになってしまいます。
お茶碗でコロコロしてから軽く形を整える方法なら、空気は抜けず、お米が潰れる心配もありません。
ふんわりおいしく、そして口の中でほろっとくずれるおにぎりができあがります。」

「クレハおにぎりプロジェクト」

ともありました。その魅力は、確かにありそうです。
 
「最後の晩餐は、何を食べたいですか?」
と聞かれたら、迷わず
「母のおにぎり!」
と答えたいところですが、母亡き今、それは叶いません。しかし、カミさんか誰かが握ってくれた「塩結び」を一口でも味わえたなら、そして、それが故郷の米だったら、これ以上のぜいたくはありません。
 
たしかに「コロコロ」の長所はよく分かりました。それなのに、人の手で山の形に握られたあのおむすび(おにぎり)に、より心が惹かれます。

結ぶ(握る)という行為や言葉に「幸(さき)くあれ」という願いや祈りのようなものを感じるからなのかもしれません。手のひらには、不思議な力が宿っているのかな?母の握り飯に、そう思った事があります。
 

※画像は、クリエイター・MITSUDA Tetsuoさんの「炊き込みご飯の小ぶりなおにぎり」の1葉をかたじけなくしました。母の作った「こびれ」を思い出しました。お礼を申し上げます。