No.500 教え子の家の伝え
「かでん」と言ったら「家電」と「(紅茶)花伝」くらいしか思い浮かばない私に、「家伝」を教えてくれたのは、クラスの教え子でした。
私がクラス担任だった頃、昼食時には教室へ行き、生徒たちと一緒に弁当を開きました。小学生ならまだしも、高校生たちにしてみれば「謹んでご遠慮申し上げたい気分」であったに違いありません。しかし、世の中には「無理が通れば、道理が引っ込む」の諺もある通り、常に物事が思い通りに行くわけではないことを彼らも知るようになるのです。
ほぼ毎日欠かさず生徒と机を寄せて昼飯を食べ、最近の高校生事情を教えてもらったり、おかずの交換をしてもらったりしているうちに、ふと、一人の男子生徒の弁当が、月の初めの日には必ず赤飯だということに気づきました。聞けば、
「子どもの頃から、いつも月初めは赤飯でした。」
とのこと。彼の家は、会社を営んでいました。新しい月が迎えられたことへの感謝と、この1カ月間の商売がうまく行き、家族が無事でありますようにという「商売繁盛」「家内安全」の祈りが込められての赤飯だろうと思いました。
それから18年が経ち、友人のために結婚式場の受付をしていた彼に再会できました。
「今も、毎月初めの赤飯は続いているの?」
と尋ねたら、驚いたように頷きました。家の訓えを守り、続けて行くというのは、赤飯に限らず、小さなことから大きなことまで、しっかり受け継がれているということでしょう。赤飯は、彼の家族が守られ、会社が立ちゆく、一つの象徴のように思われました。
いつの頃からか、年賀状の彼の肩書は、代表者取締役に変わっていました。新たな彼の家庭でも月初めの「家の伝え」が受け継がれているのだということの証のように…。
本日、500号目のお礼!
娘の旦那さんからの懇切丁寧な手引きを頂いて、「人生の秋となる老いのすさび」になるようにと2020年12月6日より投稿を始めたのが「note」のコラムや随想です。
何とか続けられているのは、読んでくださる人々のお陰です。こんなささやかなページにもご訪問下さることに、心よりお礼申し上げます。
世の中には、とんでもない能力を持ち仕事をなさっている人々がたくさんいるのだということを、このページを通して知りました。中には、海外からの方もおられます。ネットのお手柄です。
何よりも、同じ時間の中で創作に励んだり時間を愛おしむように日々の雑感を綴ったりしている人々の文章に接して多くの刺激を与えられることが、明日への活力に繋がるという得難い喜びがあります。生かされながら生きている私が、なんだかとっても心地よい…。
「note」は、新たな知己を得、未知と邂逅い、刺激と知恵を与えられ、自分を開くページとなっています。
明日から、また続けます。よろしければ、付き合ってやってください。