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No.1436 明日のこと
「楽しきは楽しめ」。
そんな当たり前の言葉に、ゆかしさを思う老残の身です。
ロレンツォ・デ・メディチ(1449年~1492年)は、イタリア、フィレンツェのルネッサンス期(14世紀~16世紀)における、メディチ家最盛時の当主だそうです。公的な肩書きこそなかったものの、当時のフィレンツェ共和国を実質的に統治したとも言われます。
そのロレンツォの格言に、
「私たちは幸せになることを諦めてはいけない
明日のことは誰にもわからないのだから
朝起きて今日も命があったと思うなら
その人生を精一杯謳歌しよう。」
という驚くべき言葉があることを知ったのは、「世界はほしいモノにあふれている」というTV番組の中でのことでした。
1469年、父のピエロが死に、弱冠20歳でメディチ家当主となり、推されてフィレンツェの「国家の長」の地位に就いたと言いますから「どんだけー!」です。その手腕も、施策や成果も、ちっとも知らない私です。ただ、高校時代に「メディチ家は、いろんな芸術家のパトロンとなり、ルネサンス時代の黄金期を築いた」という話を世界史のN先生から聴いたことをふと思い出したに過ぎません。
そのロレンツォ・デ・メディチの保護を受けた芸術家で、私が名前を知っているのは、「ヴィーナスの誕生」で知られる画家のサンドロ・ボッティチェリ(1445年~1510年)や、万能の芸術家として知られ名画「モナ・リザ」を産んだレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)や、「最後の晩餐」やダビデ像で有名なミケランジェロ・ブオナローティ(1475年~1564年)等々です。物心両面からのサポートだったのでしょうが、イタリアルネサンス期に金字塔を打ち立て、今もなお輝き続けている偉大な芸術家たちです。
ロレンツォは、1492年、持病の痛風の悪化のために43歳で死の床に就きました。彼の死後、フィレンツェの都市文明は斜陽の時期に入ることとなったといいます。
私は、ロレンツォの格言の、
「私たちは幸せになることを諦めてはいけない 明日のことは誰にもわからないのだから」という言葉に心惹かれるのですが、詩人でもあったという彼の詩にこんなのがありました。
「あわれ美わしの青春
はかなくもすぎてゆくかな、
たのしきはたのしめ、
あす知らぬ人のいのちぞ」
『青春彷徨』(ヘルマン・ヘッセ作、関泰祐訳、岩波書店)のp126に、ロレンツォ・メディチの詩として載っているそうです。
この詩は、冒頭のロレンツォの格言の中核をなしているように思われます。そして、世界中の老若男女に問いかけているように思いました。
「明日のことは、誰にもわからない」のですものね。
「老いもまた 価値ある命と 柿を食う」
先輩の芹川憲夫先生の在りし日の句です。
※画像は、クリエイター・nitsubonomeさんの、タイトル「2019-food」をかたじけなくしました。今は亡き先輩を思い出させてくれました。お礼を申し上げます。