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No.1356 遺したいもの

その言葉の出典を知りませんが、
「小児は白き糸の如しなんて申しまして」
と噺の枕に使う落語家さんもいるとか…。

「小児は白き糸の如し」とは、子供の天真爛漫さをいったもので、濁りに染まっておらず真っ白な糸のようなものだというのでしょうか。逆に言えば、純粋だからこそ何色にも染まり易く、善くも悪くもなるというのでしょう。相田みつをの「育てたように子は育つ」という厳しい視点もありますが。

親や大人たちの躾や教育や、周りの環境が問われる言葉のように思われます。幼い子どもの力では、いかんともし難いものですからなおさらです。子どもには「生きる権利」が、そして、親には「養う義務」が生まれます。

生まれ来る子に、親として家族として、どんな言葉で迎えてあげられるか、どんな形で残しておいてあげられるかを、ともに考えたいと思うようになった出逢いがあります。

2015年(平成27年)、某旅行会社の大阪への船のツアーに参加した時に同じ組になったのがTさんでした。私とは親子ほども歳が離れていましたが、なぜだか旅の途中から意気投合してしまい、旅行後も互いが家を行き来する間柄になりました。

1934年(昭和9年)8月5日生まれのTさんのご自宅で、当時42歳の父親が書き残したメッセージを拝見する機会がありました。父が、生まれた我が子に託した思いの一筆です。
「健康にして、正しき心の持主たらんことを望む 父書 敏明へ。」

父親の短いその文は、Tさんの80年の人生を支えた言葉だったそうです。私は、セピア色に変色したその用紙に書かれた父親の達者で力強い手跡を見て、心の底から感動しました。素直な親の気持ちが凝縮されていたからです。トップ画像は、その一部です。

1975年(昭和50年)9月に54歳で病没したわが父でしたが、私が生まれた時に、どんな思いを抱いたか、どんなことを期待してくれたであろうかという思いが、この時、胸の中をよぎりました。

親は、赤ん坊を「名前」という一生ものの「おくるみ」で優しく包みます。名前には、我が子への思いや期待という「親からの真心」が籠められている事は十分に承知していますが、私には、Tさんの父親のようなメッセージは残されていません。目の前に、親の思いが文字になって残るという事の力は、すごいことだなという実感がありました。

恐らく、成長し年齢を重ねるごとに、輝きを増す筆の跡だろうと思います。生前贈与できる「親からの生きた言葉」を残したいものだと思いました。

知己となったTさんとの交流は2年3か月続きましたが、2017年(平成29年)6月に、車いすの上で、それこそ「ぽっくり」と逝ったそうです。人もうらやむ82歳の生涯でした。