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No.1364 縮辞はいかが?

その昔、PHP誌ではなかったかと記憶するのですが、感動的なお話がありました。
 
 一説に「祝辞」は「縮辞」、「弔辞」は「長辞」などと言われます。
 或る時、八十代で亡くなった老人の孫が弔辞を読む事になりました。中学生は、祭壇の前に進み、合掌した後、無言のまま制服を脱ぎ、きちんと畳んで足下に置き、ネクタイをいきなり外すと、たどたどしい手つきで、今度は一所懸命に結び直し始めたそうです。
 葬儀場は、何事が起きたかとざわめきました。中学生は、かなりの時間をかけて結び終わると、制服を着直し、合掌して言いました。
「おじいちゃん大丈夫だよ。一人でネクタイも結べるようになったからね。毎日、お仏壇に合掌するから安心して天国に行ってね」
 ざわめきは、全くなくなりました。しばらくすると嗚咽の声が漏れ、涙の雨となったと言います。その時、遺影の老人の笑顔が輝きを増しました。

そんなお話でした。
長々と弔辞を読む人もいますが、このような心のこもった短い弔辞もあるのだなと、中学生の姿に開眼されるような思いがします。人の心を打つのは、言葉だけではなさそうです。私も、胸にグッと来てしまいました。駒澤大学の大谷哲夫という先生の書かれた文章でした。
 
大谷哲夫氏(1939年~)は、曹洞宗の僧侶で仏教学者です。麗澤大学の学長・総長や都留文科大学の理事長、東北福祉大学学長なども歴任されました。また、北京大学客員教授や国際(日中)禅文化交流協会会長などの要職にも就かれた方でした。昨、2023年7月には、『大谷哲夫先生傘寿記念論集 禅の諸展開』(大谷先生傘寿記念論集編集委員会編、勉誠社)が刊行されたばかりです。今もご壮健で、お寺の住職をされているようです。
 
私は、短時間黙想することはあっても、正しく教えられて座禅を組んだことがありません。壁に向き合いながら自分の呼吸を感じ取った経験がありません。死ぬまで繰り返される呼吸や鼓動は空気のようなもので、日頃は全く意識されませんが、少しばかり心の目を向けて体をいたわる事も必要かなと。


※画像は、クリエイター・優谷美和(ゆうたにみわ)さんの、「学校 | 画像」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。