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No.1482 ウマく出来ていました!
先日も大分県玖珠町にある「久留島武彦記念館」の館長さんである金成妍(キムソンヨン)さんの「夜目」というコラムをゆかしく思いながら読みました。久留島武彦(1874年~1960年)は「日本のアンデルセン」と言われた玖珠町出身の児童文学者です。御用とお急ぎの方も、ご一読いただければ有り難く存じます。
夜目 金成妍(キムソンヨン)
「武さん、ちょっとこの子をおんぶしちょって」。中津の叔母の家で初めて人の子を背中に負った10歳の久留島武彦は、気にしているうちは子どもは眠らない、子どもの体温と自分の体温が一つになって「鞍上人なく、鞍下馬なし」のような一つの心になった時に子どもはすやすやと眠ることに気付きました。
久留島の人生哲学であり、話道の基本理念になった「鞍上人なく、鞍下馬なし」の一体感を知りたい。由布市湯布院町にある乗馬場に駆け付けたのは、ちょうど10年前のことでした。一体感どころか「立つ、座る、立つ、座る」(軽速歩)だけで1年が過ぎ、ようやく駈足ができるようになった2年後、記念館の準備に追われ乗馬をやめました。あれから7年、今度こそと乗馬場に足を運びました。
「夜目をご存じですか?昔々、馬には空を飛ぶ鳥のように、数本の指がありました。何千万年たって中指だけが残り、使わなくなった親指の跡は馬の脚の内側に夜目として残っています」という指導員の説明に、胸の奥がじいんとなりました。気の遠くなるような時間を経て今のような美しい肢体となった馬。太古の痕跡が今も鮮明に残っていることに果てしない時の流れと受け継がれていく命の息吹を感じたからです。
2025年が始まりました。いつまでもこの命をつないでいくために、平和で美しい地球を守っていきたいものです。
「鞍上人なく、鞍下馬なし」とは、「無心にして人馬一体なること」の意だと思われますが、その出典については、異説がありました。
①AI による概要には
「鞍上人なく鞍下馬なし」は、1771年に出版された談義本『教訓乗合船』の「馬術に鞍上人に人なく、鞍下に馬なし、柔道に未発起発」
という一節で初出しています。
②西園寺の「今日の禅語」(2023年6月1日)には
出典:『禅林句集』
鞍上に人無く、鞍下に馬無し。
とありました。江戸時代よりも古くからの言い伝えだそうですが、寧ろ、馬が日本に伝わった頃からの教えでもあっただろうと想像します。いや、「人馬一体」は、馬を用いた世界中の人々の発想でもあるように思います。
さて、その馬の「夜目」とは、
「前膊部(人と比較すれば手首と肘の間)の内面及び飛節の内後面に付着する褐色の塊をいう。学名は附蝉(ふぜん)といい、蝉(せみ)が木にとまっている姿に似ているところから出たといわれる。馬は元来五指をもつ動物であったのが、現在では中指のみで体を支えている。夜目は拇指〔おやゆび〕が退化した痕跡だともいわれている。その形態、表面の紋様、大きさ等が、ヒトの指紋のように馬ごとにまちまちなので、個体鑑別に用いている国もある。」
と、JRA(日本中央競馬会)の「競馬用語辞典」に学びました。私は、「夜目」に気づいていませんでした。
ところで、有蹄類は、胎児の時期に蹄を使って地面を走るような動作をするといいますが、母体に影響はないのでしょうか?実は、この母体を傷つけないため、胎児の蹄には「蹄餅」(ていぺい)と呼ばれる白くてツルツル・プルプルした餅状のものが何枚(何層?)か付着しており、それによって守られているそうです。
先日、偶然テレビの画像で、その事実を知りました。この蹄餅は、出生直後数分であちこちにポロポロ抜け落ち、赤ん坊馬が歩いたり跳ねたり走ったりするうちに、固い蹄へと変化していくと言います。大いに納得したのと、あまりの驚きに、ヘーボタン乱打でした。
母親の胎内を気遣って、馬の胎児の足の爪がプニョプニョになっているなんて!何て母思いの子馬たちでしょう。遺伝には、進化の過程で得た恐るべき企みのものもあるようですが、畏るべき優しさのものもあることを知りました。
※画像は、クリエイター・じーちゃん こと大村義人(ペンネーム )さんの、タイトル「🏇#5 乗馬は女子だけのもの?初老男子よ馬に乗れ!」の1葉をかたじけなくしました。その説明に、「カナディアンキャンプ九州のエントランスのフィギュア」とありました。お礼申し上げます。