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No.1388 それ 一 二 三!

1925年(大正14年)ラジオ放送による健康体操がアメリカのメトロポリタン生命保険会社で行われたそうです。逓信省簡易保険局の猪熊という人物が、この海外での見聞をもとに「国民の健康保持に基く社会的幸福増進事業」として、ラジオを用いた体操事業を日本に紹介したということを「NPO法人 全国ラジオ体操連盟」の記事で知りました。「社会的幸福増進事業」のネーミングが、何ともお役所を感じます。

ラジオ体操は1928年(昭和3年)に(株)かんぽ生命保険の前身である逓信省簡易保険局が音頭を取って普及が始まることになります。1928年(昭和3年)11月1日に東京中央放送局がラジオ体操の放送を開始してから、今年で96年目。2028年には「ラジオ体操100周年」が盛大に行われる事でしょう。
 
ラジオ体操に「ラジオ体操の歌」が用いられるようになったのは、1928年のその3年後からです。
初代「ラジオ体操の歌」
作詞:小川孝敏
作曲:堀内恵三
歌:内田栄一
1931年(昭和6年)7月に発表。
 
二代目「ラジオ体操の歌」
作詞:脇太一
作曲:大中恩
歌:藤山一郎
1951年(昭和26年)9月に発表。
 
三代目「ラジオ体操の歌」
作詞:杉浦洸
作曲:藤山一郎
歌:藤山一郎
1956年(昭和31年)9月に発表。
我々が、慣れ親しんで来た歌です。
 
一 新しい朝が来た 希望の朝だ
  喜びに胸を開け 青空あおげ
  ラジオの声に 健やかな胸を
  この香る風に 聞けよ
  それ 一 二 三
 
二 新しい空のもと 輝く緑
  爽やかに手足伸ばせ 土踏みしめよ
  ラジオとともに 健やかな手足
  この広い土に 伸ばせよ
  それ 一 二 三
 
長崎県平戸町出身の作詞家・杉浦洸(1898年~1979年)と言えば、淡谷のり子「別れのブルース」(1937年7月)や、美空ひばり「悲しき口笛」(1949年9月)で有名です。
 
また、東京日本橋の生まれの藤山一郎(1911年~1993年)と言えば、歌手として「丘を越えて」(1931年)、「影を慕いて」(1932年)、「東京ラプソディー」(1936年)、「青い山脈」(1949年)、「長崎の鐘」(1949年)などで知られますが、声楽家・作曲家・指揮者としても才能を発揮した人だそうです。都会的で張りのある伸びやかな歌声は、藤山さんの真骨頂であり、人々の心を明るくしてくれました。懐メロでおなじみの歌声でした。

その二人がタッグを組んだ「ラジオ体操の歌」は1956年(昭和31年)の作ですから、今年68歳です。3年先輩の私は、今や軽い坐骨神経痛に悩まされており、身体を反らしたり曲げたりすることが出来にくく、ラジオ体操はお見限りの状態です。せめて、歌だけでも歌って無聊を慰めることにしましょう。清々しい歌詞、そして快いリズムは、一日の始まり相応しいですね。
 

※画像は、おかべりんご@イラストレーターさんの「きみと一緒に、健康に。」の1葉をかたじけなくしました。爺さんの私も加えて頂きたい画です。お礼申し上げます。