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No.1428 それは、わたしです。

自慢にも何にもなりませんが、子供の頃からの「机の上が片付けられない症候群」に益々磨きがかかっています。綺麗に整ったり、整頓し過ぎたりすると「あの世からお呼びがかかってしまう」ように思われてしまうからです。
 
「そう言えば、棚や箪笥が、きれいに片付いていたわ。」
「何年もかけて、全集ものを仕上げちゃったからね。」
などと、故人に口さがない事を言う人もいるものです。片付け過ぎが、却って不安をあおってしまうのです。ただただ、億劫がりの、片付け下手の言い訳上手でしょうか?
 
尤も、ここ数年右耳が聞こえにくくなったし、今年からは耳鳴りも始まり、
「耳遠く あの世のお呼び 聴こえない」
2002年(平成14年)「第2回シルバー川柳」の新潟県の男性(当時、81歳)の入賞作のような世界を追体験しています。
 
作家の坂口安吾氏(1906年~1955年)は、たった1枚の、とっ散らかした仕事部屋の写真でも有名ですが、勉強嫌いだった彼は、中学2年の時に、4科目で不合格となったそうです。本名は、安吾ではなく炳五(「丙年」生まれの「五男」だったから)でしたが、漢文教師が、
「お前なんか、炳五という名は勿体ない。自己に暗い奴だから、アンゴと名のれ」
と、黒板に「暗吾」と書かれました。これが「安吾」の由来となったとか?
 
その片付け下手、いや、整理整頓を意に介さない安吾でしたが、1955年(昭和30年)に48歳の若さで亡くなりました。脳出血禍でした。片付けしようがしまいが、人の生き死にには、何の関係もないのかも知れません。
 
その昔、乱雑至極な吾が汚部屋の机の上の捜し物をしていたら、メモ用紙が紛れていました。そのうちの1枚に、何かで聞いた話が書かれていました。
 「昨日、電車で10歳くらいの男の子が、お爺さんに席を譲ったので、『ありがとう。お母さんに教わったのかい?』とお爺ちゃんが聞くと、男の子が『良いことをしたら、お父さんが帰ってくるの。』と言った。近くにいた僕らは、皆、目が潤んだ。」
とありました。
 
その用紙には、「11月5日」の日付がありました。今は亡き義父のお通夜の日のことでした。しみじみと感動したお話だったので、近くにあった紙切れに走り書きしていたのでしょう。肺の病で入院していた義父の二人の娘達の心境心情も正にそうだったに違いありません。良い事をすれば、きっと…。
 
整理整頓も考えものです。かくして、言い訳上手から背中を押される私ですが、このところ、頭の中の整理も思うように出来なくなりました。
困った爺さん(困爺)、それは私です。


※画像は、クリエイター・倉田エリ|出版コンシェルジュさんの1葉をかたじけなくしました。タイトルには、「心のデトックス|『自分をもてなす』ために生きはじめたことで、見えてきたもの【お片付け】」とありました。まっ、まぶしい!!