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No.1096 あんこ便り?あんこ頼り?

一昨日、餅を搗きました。来年の正月を安曇野の娘夫婦宅で過ごさせてもらうために、餅を送ろうと夫婦で考えました。その前夜、私は粒餡を作りました。画像は、その1葉です。
 
一体、あんこは、いつごろから食べられているのでしょう?
「日本あんこ協会」(あるんですね!)の説明によると、「あん」の原型が日本に伝わったのは、6世紀末~8世紀初めの飛鳥時代だそうです。遣隋使によって中国から伝えられたといい、饅頭の中に肉や野菜などを「あん」として詰めたものを言ったようです。

「茜丸本舗」(あんこショップ)のページによると、
 小豆の「ア」は赤い色から、「ズキ」は溶けるほど柔らかいという意味から、”アズキ”と名付けられたこと。
 昔から赤い太陽や赤い炎は信仰の対象であるとともに、赤い色は魔除けの色として邪気を払うと重んじられてきたこと。
 赤い色をした小豆も、厄除けや魔除けとして食されてきたこと。
 あんことして伝わったのは、紀元607年推古天皇時代のこと。
という興味深いことも学びました。それで小豆だったのかと。
 
その後、肉食を避ける僧たちによって、小豆を使用した「あんこ」のような形が出来ましたが、砂糖は高級品であり、まだ塩味の餡だったとか。
 
「農林水産省」の砂糖のページを抄出すると、次のようにありました。
 砂糖の語源は、「Sarkara=サルカラ」。古代インドのサンスクリット語で、さとうきびという意味です。砂糖は、今から約2400年前の古代インドで誕生したと考えられています。その後、インドから中国やエジプト、ヨーロッパへと広がっていきました。中国を経て日本に伝えられたのは8世紀、奈良時代であるといわれますが、薬種として扱われました。
 
奈良時代に輸入されていたといいますが、平安時代でも貴族の間でさえ、甘葛(あまずら)が食事に欠かせない贅沢で貴重な甘味料だったといわれています。 甘葛が全国から都に集められ、腐敗しないように、煎じて濃縮して蜂蜜や水飴のような粘り気のあるものにして保存したそうです。
 
では、いつごろから砂糖は日本人の間に普及したのでしょうか?
「独立行政法人農畜産業振興機構」のページの記事を簡単に紹介すると、
 16世紀半ばの戦国時代の末期に南蛮貿易で中国産の砂糖が安定的に供給され、年間150キロ前後の砂糖が輸入されていたといいます。
 江戸時代に入ると17世紀から18世紀初期にかけて琉球・奄美に黒砂糖の製法が伝えられ生産が始まりました。しかし、白砂糖や氷砂糖は、18世紀末まで、長崎に来航する唐船とオランダ船による輸入に依存していました。
 長崎貿易で輸入された砂糖は、商人に落札された後、船で大坂の薬種問屋へ運ばれ、さらに堺筋町の砂糖仲買によって江戸をはじめとする全国に運ばれていたといいます。
 
以上のことから、江戸時代後期には庶民にも砂糖は普及していたと考えられます。
 
ところで、歌手・都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」は、1964年(昭和39年)10月5日のリリースです。その5日後の10月10日に第1回東京オリンピックが開幕されました。
「世界中の秋晴れを全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」(NHKの北出清五郎アナウンサー)
の第1声は、ものすごく印象的でした。私は11歳でした。
 
この都はるみさんの3枚目のシングル盤「アンコ椿は恋の花」の「アンコ」って、何なのでしょう?今更ながらのあんこ談義です。ネットで調べてみたら、親切さんが、
「伊豆大島で年上の女性に対して親しみを込めてよぶ時の呼称で『姉こ』が変化したもの、広くは『島の娘』のこと。」
と教えてくれました。

「姉っこ」の「あんこ」さんだったんですね。呼び名が呼び名だけに、その地方には、「甘~い!」(井戸田潤さん風に)思い出の人もいるかもしれませんね。私の「あんこ」は、甘さ控えめでしたが…。