見出し画像

No.1477 杞憂?

今から50年前の学生時代に、蓄財をなげうって諸橋轍次著「大漢和辞典」(当時、全13巻)を買いました。
「海賊版があるから気を付けなよ。」
と先輩から言われたのを覚えています。私の持っているのは、昭和51年7月1日発行(縮刷第5版)で、第六巻「毛沢東」(p819)の内容が削除されていませんので、本物なのでしょう。

中国は俗に「パクリ文化」などという不名誉な批判がされます。世界的にブランドもの、アニメキャラクター、食品名、製造機器、大手食品メーカーの登録商標他の知的財産権侵害が平然と横行する事実は、これまでも折に触れ報道されています。日本のアニメの影響が少なくないとの指摘もありますが、「悪意あるインスパイア」と言えなくもありません。

 この「パクる」の語源は、口をパクパクさせることから「パク(擬態、魚が獲物をすばやく口に入れる)+ル(動詞化)」となったそうで、チンピラの隠語で「商品や金品をかすめとる」の意になりました。

レファレンス共同データベース、2024年04月12日より

とありました。思うように言いたいことが言えず、口をパクパクさせている私の現状とは違う意味の様です。

その中国のパクリ文化について、小説家の魯迅(1881年~1936年)が雑誌『中華日報・動向』(1934年6月7日)の中で、「拿来主義」と言及していることを知りました。

 「拿来」は中国語では「ナーライ」、日本語では「だらい」と読み、「どこかから持ってくる」という意味だ。英語で表現すると“copinism”(コピー主義)とか“by borrowed method”(借りた方法で)などとなると、中国では定義されている。
 魯迅が言ったのは、「立ち遅れた中国の文化や技術を前進させるには、すでに存在する海外の優れた文化や技術を取り入れた方が早い」という趣旨だ。

YAHOOニュース 2014年12月9日、遠藤誉氏「中国のパクリ文化はどこから?――日本アニメ大好き人間を育てたのも海賊版」より

とありました。明治の頃、世界の仲間入りを急ぐ日本も外国の文化を盛んに採り入れようとして、政府も国民も模倣しました。夏目漱石(1867年~1916年)は、1911年(明治44年)に「現代日本の開化」と題する和歌山での講演でそのことを痛烈に批判しています。青空文庫にあり、私はパソコン画面で読みましたが、えっらく長い話です。後ろから数えて三段目の終わりの方、末文から数えて40行目に書かれてあるのが次の一文です。

「現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云う事に帰着するのである。」

「現代日本の開化 -明治四十四年八月和歌山において述-」(青空文庫より)

日本人も、明治のころは他国の人の事は言えない過去を持っていたのです。

そんな中国の知的財産権侵害が、日本でかまびすしく論じられた数年前の事、大阪のテレビ局から発信された番組の中で、親日派の中国人大学教授が中国の友人から聞いた話で、
「日本人がそんな事を言うなら、無断で使用している中国の知的財産である漢字を返せと言いたい!」
と言っていましたよと、冗談の一つとして紹介しました。私は、そのウィットに驚き、又、その発想に舌を巻きました。日本の生活から漢字がなくなるということは、自動的に漢字から派生した、ひらがなもカタカナも使えなくなるということになります。それは困る!

同じように、インドの人々から、
「我々の先祖が生み出した知的財産ともいえる0の概念を返せ、使うな!」
と言われたら、世界中の国々は、何をするにもお手上げでしょう。物凄い考え方です。

 「0」は、インドのグプタ朝時代の「ゼロの発見」に始まり、6世紀ごろには確立し、アラビアを経てヨーロッパに伝えられ、数学その他の文化に影響を与えた。 名著とされる吉田洋一氏の『零の発見』(岩波新書 1939年)によれば、「零の発見」はインドのグプタ朝時代(4~5世紀)においてであった。 

ネットの世界史の窓「0の概念」より

と教えられました。私たちは、日々「0」にどれほどの恩恵を受けているか分かりません。今更のように、本家本元に断りもなく使わせてもらっていることを有り難く思うのです。

漫画みたいな発想をしてしまいましたが、私の杞憂でしょうか?
でしょうね!


※画像は、クリエイター・D Tsujimotoさんの、タイトル「首都チュニスの路地裏 見つけた某キャラクター」の1葉をかたじけなくしました。その説明に
「Tunis / Tunisia チュニジア、チュニス。路地をうろうろしてたら時間制のゲーム屋(30分いくらでプレステができる的な)の壁に見覚えのあるキャラクターを発見。帽子のマークが「R」だから似た別人なのか?」
とありました。マークが「M」でないところが味噌?中国だけではなかったようです。お礼を申し上げます。