No.728 今、忘れられているとても大切なもの
今から29年前の1993年(平成5年)、黒澤明監督の映画『まあだだよ』(大映が製作し、東宝が配給)が公開されました。小説家であり随筆家だった内田百閒(ひゃっけん、1889年~1971年)という人物の、戦前から戦後にかけての日常と、恩師と慕う大学時代の教え子との交流を面白おかしく描いた作品です。
『まあだだよ』のキャストとして、内田百閒を松村達雄、その妻・香川京子、教え子たちに井川比佐志、所ジョージ、寺尾聰、平田満、岡本信人ほか、また、百閒の主治医に日下武史、百閒の学友であり和尚役に小林亜星ほかの名優陣がその名を連ねています。
映画の中で、腹を抱えて笑ってしまう場面がいくつもある中に、「うーん!」と唸ってしまう貼り紙もありました。百閒の家には、教え子だけでなく、出版社や御用聞きのほか、借金取りなど実にさまざまな人がやってくるので一向に落ち着きません。一計を案じた百閒は、こんな狂歌(戯れ歌)を紙に並べて書いて玄関に掲げました。
「世の中に人の来るこそうるさけれ とは云うもののお前ではなし 蜀山人」
「世の中に人が来るこそうれしけれ とは云うもののお前ではなし 亭主」
持ち上げといてけなし、けなしておいて持ち上げる、なんとも心ニクイ演出です。大田蜀山人(しょくさんじん=太田南畝、1749年~1823年)は、文人・狂歌師・御家人だったそうです。
「世の中で人が来ることほど煩わしいことはないな。じゃが、あんたのことではないよ。」
もう、噴飯ものです。もっとも、『太田南畝全集』(全20巻、別巻1)をつぶさに調べた人によると、太田南畝(蜀山人)にこの句は見つからなかったとの由ですから、ひょっとすると百閒先生の創作疑惑、お名前拝借疑惑も浮上するネタではあるのです。
そうはいうものの、「臍曲がり」と「寂しがり屋」が同居した、「大人子ども(子ども大人?)」のような百閒らしい駄々っ子ぶりです。映画の中で登場する「まあだかい」とは、教え子たちが百閒の還暦の翌年から17年に亘り続けた誕生日会「摩阿陀会」に由来しているといいます。なかなか死にそうにない先生に対して、教え子たちが
「まあだかい?」
と訊ねると、先生が
「まあだだよ!」
と応える会です。波のように押し寄せては引き返す、その姿にも似た教え子たちと先生の「まあだかい?」「まあだだよ!」の応酬は、私たちも子供時代にやった「かくれんぼ」の「もういいかい?」「まあだだよ!」のやり取りを鮮やかに思い出させてくれる心和むシーンでした。私は、もう少し「まあだだよ!」と声を上げたいお年頃です。
この映画のキャッチ・コピーは、
「今、忘れられているとても大切なものがここにある。」
というもので、懐旧や、人との厚くて濃い繋がりなど、胸に去来するものがありました。
「物干しの猿股遠し雲の峰」
「欠伸して鳴る頬骨や秋の風」
「龍天に昇りしあとの田螺かな」
「犬声の人語に似たる暑さ哉」
「麗らかや長居の客の膝頭」
その句を知れば知るほど、内田百閒なる人物のことが、ゆかしく思われてくるのです。