No.534 手書きが生んだ感動のお話(ビデオ録画のお手柄)
「複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、さまざまな謎や疑問を徹底的に究明する『探偵!ナイトスクープ』…」
の聞きなれたフレーズは、1988年(昭和63年)から始まった大阪朝日放送の視聴者の依頼によって成るバラエティー番組です。数々の名作が、綺羅星のように燦然と輝く中にあって、ひたすら心に瞬き続けているお話があります。
それは、2011年(平成23年)1月7日に放送された「レイテ島からの葉書」という珠玉の作品で、田村裕探偵が担当の回でした。
依頼者は、大阪府の男性(65)で、その依頼は次のようなものでした。
「自分の父は、新婚5ヵ月で召集され、フィリピンのレイテ島に出征し、自分が生まれた昭和20年1月には、戦死していたらしい。5年前に他界した母の遺品を整理する中から、出征した父からの葉書を2枚見つけたが、鉛筆書きのうえに、母が何度も読み返したためか紙皺もあって、その1枚はほとんど文字が消えて読めない。その読めないほうの葉書に『身重であるお前』と読めそうな箇所を発見した。父は母が私を身ごもっていたことを知っていたのか、それとも、知らずに逝ってしまったのか。何とか判読してもらえないだろうか。」
田村探偵は、茶色く変色した鉛筆書きの葉書を、ためつすがめつしますが、読めません。そこで、文字をコピー機で拡大しましたが、特に問題の箇所の「身重」の部分の前後は、読めないままです。そこで、芸術系専門学校の先生に依頼し、コンピュータによる解析を試みてもらいました。特別なスキャナーで読み取って画面に映し出しますが、「身重」の「重」の字が「実」にも見えます。紙についたシワが、謎の答えへの行く手を遮ります。まるで、茨の中を進む道に迷った旅人のような依頼者に見えました。
専門学校の先生の助言で、次に向かったのは、奈良文化財研究所でした。奈良時代の遺跡から出土した木管などを読む、古代の謎解きのエキスパート集団のいる研究所です。その主任研究員である馬場基(はじめ)さんとその仲間たちが、奇跡を起こしてくれました。鉛筆(炭素を含む)書きであった事が、むしろ研究対象として功を奏したのでした。
ガラスで葉書を挟み、紙ジワを伸ばして赤外線写真を撮り、反転させた写真を重ねると文字が浮き上がって見えましたが、それでも「身重」と断定できませんでした。そこに現れたのが、古文書解読部のメンバーで、文章の前後の脈絡や意味から推測してはどうかと集まってくれたのです。そして、葉書の最後に書かれていた辞世に近い和歌の解読の末に、まず「身重」で間違いないことを突き止めたのでした。
「酔ふ心 君に訴ふ 事ばかり ただに言えない 吾が胸の内」
「頼むぞと 親兄弟に 求めしが 心引かるる 妊娠の妻」
「駅頭で 万歳叫ぶ 君の声 胸に残らむ 昨夜も今朝も」
そのように読めることが分かり、奥さんが妊娠していたことを亡くなったお父さんが知っていたことが遂に判明しました。その瞬間、日本中から拍手の音が沸き起こったように感じました。
その事実を確認でき、積年の胸のつかえがやっと解れ、涙ぐむ依頼者のとなりで、解析した研究主任の馬場さんももらい泣きしていました。研究者のみなさんは、
「供養だから、しっかりやろう!」
と声を掛け合っていたと言います。依頼者の思いに応えたいという研究者魂が、このような軌跡を呼び起こしたのでしょう。思わず、私も胸が熱くなりました。
最後に田村探偵が語ったところによれば、この葉書はレイテ島から直接送られたのではなくて、台湾から送られたものだそうです(消印で分かったのでしょう)。何としても、この葉書を奥さんに届けるために、検問のあるレイテ島ではなく、台湾にしたのだろうと推測していました。
この作品は、大きな反響を呼んだそうですが、太平洋戦争で、悲惨な体験をした肉親を持つ多くの日本人の胸に強く深く響いたからでしょう。研究主任の馬場さんの祖父も戦時中にフィリピンで亡くなったとのことでした。ちなみに、この馬場基さんは、その後、「ブラタモリ」や「探検バクモン」や「英雄たちの選択」などにも出演したことのある気鋭の研究者です。
手書きの手紙(葉書)には、活字では届かない肌触りや体温があります。四六時中、すぐに届くメールですが、時間が育み育てる手書きの魅力の捨てがたさを、より一層教えられたお話でした。