質の追求でしか量の壁は超えられない
3度目の機能制限で足止めを喰らいながらも、インスタサブ垢でフォロワー700人を突破した記念投稿。定石である「ストーリーズでフォロワーと交流を深めるべし」を実践している。アンケート機能で「どっちの構図の方が好き?」と問いかけるアレである。
自称UXリサーチャーとしては、インスタ勢の価値観を探る設問をしたくなる。回答の集まりが良く、皆も関心あるんだなぁと感じた。作中で作品について「メタ発言」するようなおかしさはありながらも、面白かった設問について紹介しつつ考察する。
イイネなしフォローにフォロバ返すの抵抗ない?
相手が自分のことをフォローしてくれた時に、ギャラリーを見て趣味が合えばフォローを返す(=フォローバックする)のだけど、その時にイイネを1つも付けない相手をフォローバックするのは抵抗ないですか?という問いかけ。
フォロー集めしない人にとっては、質問の意図がピンと来ないだろう。補足すると、自分の投稿を「人気投稿」として露出させるには定常的にイイネを稼ぐ必要があり、暗黙の了解として相互フォローしてお互いにイイネを付け合うギブアンドテイクの関係を築いている。良し悪しは置いといて、そういう力学が働きやすい場だという前提で話をする。
設問に戻って、ギブアンドテイクが崩れそうな相手を敬遠する意味で「あるある」に偏ると予想していた。イイネなしフォローは、フォローバック集め業者の可能性も高い。ところが、蓋を開けるとN=55票が6:4に割れた。
便宜的に「ギブアンドテイク派」「無償の愛派」と呼んで相対化する。サブ垢でイイネ集めをする私は「ギブアンドテイク派」だけど、フォロワー数を伸ばす気概のない本垢は「無償の愛派」で、同じ人でも目的や置かれた状況によって変わる。
ギブアンドテイク派も「無償の愛」領域を持つ
「無償の愛派」な方から個別メッセージで「写真がイケてればフォローするし、そうでなければフォローしないので、イイネ返しは無関係」というサッパリした回答をいただいた。「純粋に楽しむってそういうことだよね」と大切なことを思い出した気もする。
例え「ギブアンドテイク派」でも、雲の上のインフルエンサーや有名人であれば見返りなくフォローするし、ギブアンドテイクは求めない。どちら派にも、下図のような包含関係があるだろう。
違いがあるとすれば、各領域の大きさや比率と言えるのではないか(下の図は同じ体積になる等高線を描いたつもり)
フォロー外し業者を一番外に位置付けた
相手をどの位置に置くかを判断する際に、写真そのもののクオリティの他、フォロー数に対するフォロワー数の割合なども参考にする。大量にフォローをかければ何割かはフォローバックが期待できるので、簡単にフォロワーが増やせる手段ではある。そうすると、フォロー数/フォロワー数が表示されるため、価値の低いアカウントだと判断されてしまう。
業者アカウントの中には、先に大量フォローをかけて、相互フォローになって数日したら気付かれないようにフォロー解除することで、見せかけを良くする者もいる。
防御策として、フォロー外しチェッカーを使って監視(ツールのせいで動作制限されることもあるので命懸け)して、相手のフォロー外しを監視してこちらも外す。やり方が美しくないため好感度が下がることもあり、ギブアンドテイクが崩れてまでは交流を続ける程ではないと判断するので、自分にとってフォロー外し業者は一番外側の領域に位置づけられる。
ファンを付けて量の壁を超える
重要な関心ごとは「相手にとって自分はどの領域に位置づけられるのか?」である。相手がギブアンドテイクを求めて私と相互フォローしている場合は、ギブの切れ目が縁の切れ目になるのは因果応報である。
実際、インスタから機能制限を食らって何も出来ない間に、フォロー解除してしまう人もいれば、ストーリーズからメッセージをくれて励ましてくれる人もいた。殺伐だと思っていたら以外と優しい世界はムネアツだった。
自分が相手から「無条件に愛される存在」になれれば強い。ここ最近は浸透しつつあるファンベースを乱暴に要約すると「2割のファンで8割の売上げを確保できるのだから、無理に新規顧客を開拓するより熱狂的なファンを大事にした方が費用対効果が良い」みたいな話である。ファンが付くかは効率的な運用テクじゃなくて、生身の人間の魅力が効いてくると思う。
フォロワー1万という量を目指すことは、ファンを付けるという質の追求と逆方向に思える。でも、ギブアンドテイクに頼らず愛されなければ量の壁が超えられない意味では、いかにファンを付けるのかが肝になる。タイトルどおり質の追求でしか量の壁を超えられないのだ。