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No.1368 楽しく調べる

宮澤賢治は、誰もが知る詩人であり童話作家です。1896年(明治29年)8月27日に岩手県花巻川口町(現、花巻市)に生まれ、1933年(昭和8年)9月21日に亡くなりました。満37歳でした。今年は、生誕128年目にあたり、今日は賢治の没後91年目にあたります。

その宮澤賢治といったら、子どもの頃の愛称「石こ賢さん」も忘れがたいのですが、教員だった時代もあり、高校生に出したという「一番長い英単語」の宿題クイズのお話も強く印象に残っています。それは以下のようなものでした。今から35年前の「知ってるつもり」というテレビ番組からの記憶です。2023年6月のコラムです。ご一読ください。

「いちばん長い英単語は何ですか?」
と質問されたら、みなさんは、どんな単語をあげますか?
 
1989年(平成元年)11月12日に放送された「知ってるつもり?!」(日本テレビ系列)は、宮澤賢治(1896年~1933年)が主人公でした。その放送の中で、賢治が26歳で教師として赴任(1921年)した岩手県稗貫郡稗貫農学校(翌1922年「花巻農学校」と改称)で、英語を教わったという男性(80歳を超えていた?)が、録画の中で話してくれました。なにせ、賢治先生が授業で受け持っていた科目は、作物・土壌・肥料・気象・農産製造・化学・代数・英語にも及んだそうです。もう「どんだけ~!」を連呼してしまいます。
 
賢治先生は、
「一番長い英単語を、辞書で調べて来なさい。」
と生徒たちに宿題を出したそうです。1920年代というと、大正10年代です。農学校の生徒たちの全員が英語の辞書を持っていたかどうか疑問ですが、Aから順に調べて来たそうです。中には徹夜組もいて見つけた一番長い英単語を自信ありげに黒板に書いたといいます。
 
賢治先生は、生徒たちが黒板に書き留めた長い英単語をみながら、
「答えは“smiles”。sとsの間が1マイル(約1,6km)もあるから。」
と言ったそうです。「1マイルも長い!」という答えを聞いた生徒たちは、ちょっと間があって、「な~んだ!」というふうに皆で笑ったそうです。すると、賢治先生、
「ほら、“smiles”(笑顔)だね。」
と立派な「落ち」までつけたというのです。
 
私は、そのお爺さんが、非常に懐かしそうで、なおかつ誇り高そうに話す姿を見て興味深く思いました。それは、ただのクイズではなく、生徒の関心を引き出し、学問の面白さ楽しさに気づかせようとする知的好奇心への誘い水だったのだと思いました。賢治先生の教育術に感動と畏れを抱いたことが忘れられません。
 
宮澤賢治が、花巻農学校で教壇に立ったのは4年4ヵ月間だったそうですが、あれから100年が経ちます。学校教育は、どこに向かおうとしているのでしょうか?凄く刺激を与えられた番組でした。
 
ある年、私のクラスの生徒たちに、
「一番長い英単語を調べておいで!」
と課題を出したら、な・な・何と「longest」と書いた生徒がおり、これには、やられました! 賢治先生、いかがでしょう?

「仁の音」No.910「100年前のジョーク」より

その後、私は、「あなたと夜と数学と」というブログの「世界一長い英単語」の中で、こんなお話が紹介されていたことを知りました。

仙台二高の3年生十数名(特進コース)
に授業を行ったことがあります。
(中略)
授業の冒頭で、
「世界で一番長い英単語は?」
という発問をしました。
これは、花巻の生んだ詩人
宮沢賢治の有名な授業ネタです。
(中略)
一番前に座っていた1人の生徒が、
私の発問に対して、
「僕の知っているのは・・・」といって、
やおらノートに英単語を書き出したのでした。
Pneumonoultramicroscopicsilicovolcanokoniosis
「えっ。なんだこれ?」
「珪性肺塵症(けいせいはいじんしょう)という病名です」
私は驚き、そして笑いました。

ブログ「あなたと夜と数学と」の「世界一長い英単語」より

その英単語の読み方も、アクセントも、息の継ぎ方も分かりませんが、そんな長い単語をスラスラと答える高校生もいるんだということを知り、私の目は点になりました。

それにしても、賢治の問いは、子どもたちや先生方に、今も変わらぬ波及効果をもたらしているように思います。
「学びの基本は、自ら楽しみながら調べること!」
そんな賢治の声が聴こえて来そうな気がします。


※画像は、クリエイター・「賢治の道」と「日高見の道」さんの「岩手県花巻市の宮沢賢治記念館」の1葉をかたじけなくしました。まだ訪れたことのないこの記念館の入口写真を見るだけで、銀河鉄道の汽車の乗客となり賢治の世界に溶け込んで行けそうなゆかしさを覚えます。お礼を申し上げます。