有名人の名言が紹介される事があります。しかし、歴史的な有名人のその言葉も、さて出典は何かというと記されていないことが多く、モヤッとしてしまいます。
「生きてるだけで丸もうけ」の言葉も、誰が言い始めの人だったのでしょう?
その言い始めの人として、愛媛県宇和島市の生まれで、「別府観光の生みの親」と称され、温泉保養地由布院の礎を築いた実業家・油屋熊八(1863年~1935年)翁の名前を挙げた数少ない中から、この人の記事を紹介したいと思います。少し長いのですが、興味深いので全文引用しました。
熊八は、1935年(昭和10年)3月に71歳で没しました。今から89年も前です。その彼の口癖を、さんまさんの師匠である笑福亭松之助(1925年~2019年)さんが何かの機会に知るところとなり、弟子のさんまさんに受け継がれたのかなと思ったりもするのです。
「草陰の名もなき花の名をいひし初めの人の心をぞ思ふ」(伊東静雄)
大岡信氏は、「折々のうた」で、
と述べています。その作歌事情はわかったとして、純粋にこの歌を解釈した時に「草陰に咲くこの花に最初に名をつけたのは、どこの誰のどんな思いからだろう?」という素朴な疑問を感じさせる歌です。
「生きてるだけで丸もうけ」も、最初に言った人は誰なのだろう?と言うささやかな疑問に応えて下さった中村英利子さんのエッセーに、モヤッとからスッキリとさせて頂いた次第です。
※画像は、クリエイター・岩田耕平|直島フォトグラファー|Naoshima Photographerさんの、タイトル「続、別府・鉄輪温泉の湯けむり写真ギャラリー50枚(2021年5月撮影)」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。