No.1150 お元気ですか?
如月の声をきくと嬉しくなるのは、団地内の某お婆ちゃん宅のしだれ梅(ピンク色)の花がほころび始めるからです。今年もその時を待ちかねたかのように花が咲き始めました。今朝の画像は、その1葉です。
『万葉集』には110首以上「梅」の歌が詠まれていますが、すべてが白梅と考えられ、奈良時代になるかならぬうちに日本に渡来したのだそうです。
例えば、『万葉集』巻五に見られる天平2年(730年)の正月13日に太宰府の帥・大伴旅人邸で詠まれた梅の歌32首の中に、白梅を詠んだ小野國堅のこんな歌があります。
844番「妹(いも)が家(へ) に 雪かも降ると 見るまでに ここだもまがふ 梅の花かも」
(彼女の家に雪が降ったのかと見まがうほどに散り乱れている梅の花だよ)
では、
「木の花は、濃きも薄きも紅梅。」
と『枕草子』で清少納言に言わしめた「紅梅」は、いつごろ日本に伝来したのかというと、『続日本後紀』承和15年(848年)正月21日の条に「仁壽殿の紅梅」の記事があるのだそうです。仁壽殿は、内裏にある天皇の日常の御座所でした。
また、
「うつくしや 紅の色なる 梅の花 阿呼が顔にも つけたくぞある」
とは、菅原道真が5歳(幼名、阿呼)の時の歌だと言われています。エピソードかとは思われますが、西暦850年の頃のことで、平安時代が始まって半世紀の頃に、既に「紅梅」は渡来していたようなのです。
では、一体、「しだれ梅」はいつ頃生まれたのかというと、江戸時代に園芸が流行し、観賞用の品種改良が行われて後のことだそうです。
「白八重ひとへ有(り) 木はよくしだれて柳のごとし」
とあるのは、宝永7年(1710)の『増補地錦抄』(植木屋・伊藤政武の園芸書)だそうです。つまり、江戸時代中期の頃に「しだれ梅」は誕生したのです。300年前のことでした。
我が家の「枝垂れ梅」は9年前、植えてくれた義父が亡くなったのを悲しむかのように枯れました。若い庭師が「亡くなった人が連れて行くなんて言いますけど…。」と私の気持ちを汲んでくれた言葉に感激し、枯れたことを残念がるのではなく、喜んで受け容れました。
団地の枝垂れ梅は、今年も元気に花をつけました。主の80歳を過ぎたお婆ちゃんに、今年はまだ一度も出会えていませんが、達者でおられることをその花に見ているのです。
「しだれ梅かごめかごめといふ遊び」
宮津昭彦(1929年~2011年)