No.1427 揺るがるる心
『日本国語大辞典』(小学館)の「あそび」の項の⑧には、
「機械の連動作用がすぐに伝わらないで、多少のゆとりがあること。」
とあります。
そういえば、車やバイクや自転車のブレーキも、すぐに利かずに、いくらか踏み込んだり絞ったりする事で、その能力を発揮します。ゆとりがなくて、いきなりブレーキが利けば、かえって危険です。もう40年も前のお話ですが、新婚旅行の時のレンタカーのブレーキの利きが良すぎて、非常に運転しづらかったことを思い出してしまいました。「あそび」は、まことに重要なポイントです。
ひと昔前のバラエティ番組「世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団」(テレビ朝日2014年11月放映)で、スペインのガウディーが設計し、いまだに建築中のサグラダ・ファミリアのナンバー2と呼ばれる建築家が来日した時のことです。
「地震や台風が多い日本で、昔の建造物がどうして残っているのか、とても興味がある。」
というのが理由でした。その着眼点の素晴らしさに私の興味は津々でした。
彼は、合掌造りの茅葺き屋根のワザに驚嘆しました。芯柱の根元が独楽の先のように尖っていることに気づき感動至極のようでした。地震に緩やかに対応できる独楽先の柔軟性が、「あそび」のような働きをしていたからです。
「遊びをせむとや生まれけむ 戯れせむとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ揺るがるれ」
この歌は、「子どもの無邪気な遊び声を聞くと、その楽しげな様子に自分の体まで自然と動き出してくるよ」という大人(老境にさしかかった大人)の気持ちを歌ったものだ言われます。平安時代末期の1180年ごろ、後白河法皇(1127年~1192年)によって編まれた『梁塵秘抄』にある今様(流行歌?俗謡?)です。850年近くも前の歌ですが、今の我々の心もとらえて離さない魅力と味わいがあります。思わず、目元が緩んできます。
今様を謡った人々の多くは「白拍子」とか「遊び女(め)」だったと言います。後白河天皇は、子供の頃から今様が好きで、口伝えで覚えたそうです。自分の死後、それらが伝わらなくなることを案じて書き溜めたのが『梁塵秘抄』だと知りました。50代の頃だったようですが、いい仕事をされました。
機械も建物も人間も、ともに「あそび」が必要なのでしょう。いや、むしろ、遊びが機能や効果を上げるように思います。気分転換やあそびは、次への活力につながります。一緒に遊んでくれる人がいることは、実に有り難いことですね。
「げんげ田や腹減るまでの鬼ごつこ」
俳人 陽田勇一
※画像は、クリエイター・みどりんさんの、タイトル「そのものさしはなんなん?表現者でありたい自分に気付く」の1葉をかたじけなくしました。鬼ごっこに興じる子どもたちの姿も思い浮かぶ一面のレンゲです。お礼を申し上げます。