見出し画像

No.1157 愛しきわが子

その一言に、思いがポーンと飛びました。
 
梅吉「そやな。けど、孫より我が子の方が、どんだけかわいいか。親いうんはそういうもんやけ。大丈夫なんか?」

昨日紹介した、朝ドラ2月7日放送の「ブギウギ」(第89話)で、スズ子の父梅吉はそう言って、夫愛助を亡くし、孫の愛子を誰にも頼らずに育てようとするわが娘を案ずるのです。その時思い出したのは、和泉式部の歌でした。
 
それは、『後拾遺和歌集』巻十・哀傷の568番の歌です。
 「小式部内侍なくなりて、むまごどものはべりけるを見て
       よみはべりける            和泉式部
とどめおきてだれをあわれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり」
(子と母をこの世に残しておいて、死んだ小式部はどちらを愛しいと思っているだろうか。たぶん、子の方が勝るだろう。そう、私も親よりも子への愛情の方が深かったのだから。)
 
和泉守橘道貞と和泉式部との間に生まれた小式部内侍といえば、母の和泉式部が夫藤原保昌にしたがって丹後国に下って行った後、一人残った京都で歌合せの歌人に選ばれた時のエピソードが有名です。

小式部内侍の局を訪れた藤原公任の息子の定頼が、
「丹後国のお母さんに手紙で歌の指南を貰いましたか?さぞ歌合せ作者として不安でしょう?」
とからかったので、すぐに、
「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」
(大江山を越えて生野を通る道は遠いので、天の橋立は踏んでみたこともありませんし、母からの文もありません。)
と歌を詠んで定頼を仰天させ一矢報いた才女でもあります。

その小式部内侍は、万寿2年(1025年)に頭中将公成の子頼仁を産んですぐに亡くなりました。そのことは『栄花物語』巻27「ころものたま」にも書かれています。3人の子を残し、まだ20代の若さだったという娘を急に失った母和泉式部(48歳?)の悲しみは、察するになお余りあります。
 
和泉式部は、
「私もそうだったように、小式部も親より我が子の方が愛しいだろう」
と複雑な親心を詠んでいます。お腹を痛めた実の子を思う母心でしょうが、「ブギウギ」の父親梅吉も「可愛いのは孫よりもわが子や」と言ってはばかりませんでした。
 
目に入れても痛くない可愛い孫ですが、我が子への情愛はまた特別で、断ち難いものがあります。もちろん、親子の確執や恩讐の歴史を持つ人もおられるかもしれませんが、時を超えても変わらない真実が、また、そこにあるように思われるのです。


※画像は、クリエイター・魚屋さんの「天橋立」の1葉をかたじけなくしました。丹後を訪れた和泉式部もこの景色を眺めることが出来たでしょうか?お礼申し上げます。