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No.1249 生きる

新聞で「おくやみ」欄に必ず目を通すようになったのは、2021年(令和3年)7月17日からのことです。

たまたまその日、夕方になって初めて開いた新聞の「おくやみ」欄に、あろうことか在職中に大変お世話になったK校長先生(101歳)の葬儀の案内が載っていました。先生がご退職後の30年間、毎年家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。

「うっそー!誰からも連絡がないなんて!」
午後6時からのお通夜は、もう終わるころの時間帯です。慌てて着替え、カミさんと別府の葬儀会場に向かいました。明日の葬儀は、授業の関係で出席が叶わないからです。

お通夜は終わっており、家族親族の方々が食事をしながら訪問客らとお話をしていました。
「奥さん!お悔やみ申します。」
と声を掛けたら、
「ああ、やっと来てくださった。私ね、今日きっと来てくださると思って待っていましたのよ!」
が第1声でした。運よく、棺に納められた恩師の穏やかなお顔を拝むことも、衷心からの哀悼を述べることも、これまでのご厚情に対するお礼を申し上げることも出来ました。

それにしても、なぜ訃報が伝わらなかったのか?後から職場のOB会の連絡網が途絶えていたことが分かりました。私の列の連絡網は、最初の人の失念で回っておりませんでした。多分、学校関係者の一人として葬儀の計画や手伝いに心を奪われていたからでしょう。

ところが、私は、偶然その日の新聞の「おくやみ」欄で恩師の訃を知ることが出来たので、奥様を悲しませずに済んだのです。その時、偶然は本当に「偶然」だったのかな?と思いました。私の中で、何かの知らせが新聞を開かせたような気がしてなりませんでした。

あの日以来、「おくやみ」の欄を開いてみるようになりました。すると、とんでもなく若いのに命を奪われた方もいれば、80代90代で寿を終えられた方もいました。そして、意外にも私と同じ70代で逝かねばならなかった人も少なくないのだということを知りました。

若い頃、自分の60代、70代、80代に興味がありました。どんなふうに年を取り、どんな自分に変わっていけるのかという期待感の方が不安感を上回っていました。しかし、現実は「人生の秋」というよりも「人生の冬」に足を踏み込んでいる自分を客観視すべきではないかという気持ちの方が強くなりました。

10年後の自分を描きながら生きることは大事かもしれませんが、明日をも知れぬ今日ある命をちゃんと生きたいと思う様になりました。私は私をあきらめず、私らしく日々を生きたいな、生きられたらいいなと思っています。

「生きる途中 土筆を摘んで ゐる途中」
 鳥居真理子(1948年~)


※画像は、クリエイター・となきち@傾聴Webライターさんの「春の訪れとともに」と解説のあった土筆の1葉です。お礼申し上げます。