No.1075 あらたまの
異論・反論・オブジェクションかも知れません。
還暦を迎える辺りから欠礼状が増え始めました。もっとも、令和に入ったあたりから、虚礼廃止の機運の高まりやSNS利用の賀状の交信が見られるようになり、年賀状のやり取りが少なくなりつつあります。「故人のことをラフに描いた肖像画」、私にとって「欠礼状」は、そんな意味のお便りと観じています。
とネットの記事でその詳細を初めて知ったのは、6年も前のことです。
ある年、教え子から届いた喪服葉書には、
「(略)こちらからは年賀状をお届けできませんが、皆様から毎年届く年賀状をとても楽しみにしています。こちらの喪中に関係なくお送りいただけましたら幸いです。(略)」
とありました。とても嬉しい申し出であり、筆者の思いを尊重しました。
今年頂戴している年賀欠礼状の中に、年賀状終い(「終活年賀状」?)のお便りが2枚ありました。だんだん、人とのご縁が断ち切られるようで、一入寂しさの増す季節です。
2022年「第8回ハガキの名文コンクール」の中に、こんな1枚があります。
私は、この男性の側に立ちます。相手を思い、一言添えて新年を迎えることの出来る気持ちよさは、感謝の思いでもあります。書き続けられる間は「文字言葉の訪い」の捨て難い魅力に身を委ねたいと思っています。
※画像は、クリエイター・みけ*るーちぇさんの2023年の年賀状「平和と幸せ祈願 うさぎ」の1葉をかたじけなくしました。その卯年もあと1か月、いや、まだ1か月ありますね。