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No.740 「海潮音」へのたまさかの出会い

3年前の今日、母の七回忌の法要が実家で行われ、お参りに帰りました。
 
我が家の宗派は曹洞宗ですが、住職から「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんげ)という経を一緒に読むよう勧められました。観音様の力を念ずることで救われ、仏の供養にもなるという事だったのでしょうか。皆で大きな声をあげて唱えました。
 
その中に「梵音海潮音」(ぼんのんかいちょうおん)と言う言葉が、いきなり目に飛び込んで来て、大変驚きました。この「海潮音」(jaladharagarjita)とは、仏教用語で、釈迦の説法の際の声の大きいことを波の音にたとえたものだそうです。偶然とはいえ、その邂逅は鮮烈でした。
 
山のあなたの 空遠く
「幸い」住むと 人のいふ
噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて
涙さしぐみ かへりきぬ
山のあなたに なほ遠く
「幸い」住むと 人のいふ
 
カール・ブッセの詩「山のあなた」は、上田敏の翻訳詩集『海潮音』(1905年、明治38年)で紹介され、瞬く間に有名になりました。その『海潮音』の扉には、
「遙に此書を滿州なる森鴎外氏に獻ず」
とありますが、長い序に経文との関わりを知られるくだりは無かったように思います。
 
東京帝大英文科に在学中、講師のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)から
「英語で自己を表現できる、1万人中ただ1人の日本人学生」
と絶賛された上田敏です。フランス語、ドイツ語、スペイン語も身につけた敏は、ヨーロッパの最新文芸思潮の紹介者として健筆をふるったといいます。
 
『海潮音』の題名の由来を調べましたが、その命名の経緯は不明のままで、翻訳詩集を大きな声で口ずさみ親しんで欲しいとの心かもしれないなと考えていました。
 
ところが、「くらしの仏教語豆辞典」の中に、
「『法華経』 に『妙音観世音、梵音海潮音、かの世間の音に勝れり』」
とあるのを受けて、上田敏は、このお経の文句から『海潮音』という題名をつけたのだという仏教関連のブロガーさんからの情報がありました。
 
それによると、
「『梵音』とは清らかな音声(おんじょう)、尊い御声(みこえ)で、仏の声を称えていったのもので、『海潮音』は、音の大きいのを海潮にたとえていったものですから、仏の真理の言葉は、大きく遠くまで伝わることを意味している」
と説明していました。
 
翻訳詩集『海潮音』が「大きく遠くまで伝わる事」を意識しての命名だったのでしょうか。どなたか教えていただければ幸いです。

話は変わりますが、小説家の海音寺潮五郎というと、『平将門』や『天と地と』など大河ドラマとなった作品の作者としても知られていますが、その名前の由来も何か「海潮音」の響きがします。そのことについては、ご本人が「夢想の筆名」で書いています。抜粋したのが、次の文章です。
 
「後年故三田村鳶魚氏にはじめて会った時、『あなたの筆名の出典は観音経ですね』といわれた。
 『へえ、観音経にあるのですか』
 『あります。偈のところに』
そこで帰るとすぐ出入りの書店に言いつけて、観音経をとりよせて調べてみると、あった。
 『梵音海潮音、勝彼世間音、(梵音海潮音は、かの世間音にまさる)』
とある。これを出典とすると、おそろしくいばったペンネームになるが、そのような了見さらになし。本名をかくすために夢の中の声を利用しただけのこと。しかし、夢想のペンネームということにはなるかもしれない。」
 
やはりあの法華経の偈文から戴いていたのですね。畏るべきご利益です。
気が付いたら、長々とものしていました。最後まで読んで下さり有り難うございました。

※画像は、クリエイター・クロノツカヤさんの、タイトル「冬の日本海」をかたじけなくしました。荒々しい冬の日本海の音がしてきます。お礼申します。