No.1485 苦みばしった?
「芽が張る」から「春」と呼ばれるようになったという語源説が好きです。
そんな「春」に「心ときめきするもの」の一つに蕗の薹があります。雪の多い地方では雪をかき分けて健気に芽を出す鶯色の可愛い植物です。
私の義理の姉は大分県北部の耶馬渓町の出身で、この時期に耶馬渓に帰省すると、土産には一足早い大ぶりの蕗の薹を持ち帰ってくれました。私のふるさと山香では2月~3月の頃に芽吹くので、義姉の心遣いが大変嬉しかったのを覚えています。
花穂が開かない蕾の状態のまま、天ぷらにしていただきます。苦みが薄れ、香りが立ちます。私は、生の葉をそのまま刻んで味噌汁に入れるのも好きです。あの、独特の苦みは土の底から湧き出るような生命力を感じ、大人になれたような気がします。薄緑色の衣をまとった「一足早い春の使者」のイメージがあります。
その「蕗の薹」の花言葉に、「愛嬌」「待望」「仲間」「真実は一つ」などがありました。
「真実は一つ」とは、若き探偵さんの名言のようですが、
「フキノトウがキク科のフキ属に属し、原産地が日本だから」
でしょうか?
このほかにも「処罰は行わなければならない」という物騒な花言葉もありました。その意味は、
「フキノトウの根にフキノトキシンという毒があるから」
だそうです。動物たちに食べられまいとする防衛本能でしょうか?
これらを総じて「私を正しく認めてください」という花言葉もあることを知りました。
「蕗の薹」で好きな句があります。
「山の香も日の香もありて蕗の薹」(木内美保子)
「蕗の薹鬼籍の父を呼び起こす」(戸田悠)
「酒好きの亡き父偲び蕗の薹」(多田節子)
「蕗の薹炙れば父と居るごとし」( 富安風生)
私の父は、大陸に出征し、生きて還りました。言うよりも手足が先に出る短気の人で、今でいう「モラハラ」の権化みたいな存在としてわが家で君臨していました。しかし、54歳で亡くなられてみると、痛かった思い出や、厳しかった教えが、蕗の薹を味わうたびに懐かしくもほろ苦い思い出として感じられるようになっています。
逞しい生命力、馥郁たる香、苦みのある味わいが、父親の像と結びつくのでしょうか?父を身近に感じる春の使者にあいたいものです。
※画像は、クリエイター・マサルさんの「ボコボコ出てくるフキノトウ」の1葉をかたじけなくしました。私には、おまみえの存在です。いい色ですね!お礼申し上げます。