No.682 もの思う秋
「秋深き 隣は何を する人ぞ」
芭蕉は旅の途中だったそうです。大阪の宿で体調を崩してしまったのです。
「深まる秋の中、ひとりで床に就いていると、隣にも同じような人がいるようだ。いったい何をしている人だろう。人恋しくてならない」
秋晴れだというのに体が思うようにならないもどかしさ、更に寂寥感を思わせます。病床で隣の人に思いをはせながら、暮れ行く人生の秋をも観照した句だったのでしょうか。芭蕉は、この句を詠んでから2週間後に亡くなりました。1694年(元禄7年)陰暦10月のこと、まだ51歳でした。
「青空に 指で字を書く 秋の暮」
思いっきり近代的でロマンティックな句だと思いませんか?雲一つない青空に、何という字を書いたのでしょう?自分の名前を綴ってみたのでしょうか?俳句をひねっていたのでしょうか?それとも、誰かに宛てたエアレターだったのでしょうか?
この句の作者は、江戸後期の俳人小林一茶です。1814年(文化11年)9月の作で、一茶51歳の時の作だそうです。晩秋の青く深い空の色は、今よりももっと濃く鮮やかだったかも知れません。その空に向かって指でなぞった文字は、書くそばから消えて行きます。儚さと虚しさと切なさを湛える近代的な感覚のこの句が、今から200年も前に作られたということに素直に驚きます。一茶という俳人の「奥の深い魅力」を感じるのです。
その一茶は、1年前の5月に歌っています。
「大の字に 寝て涼しさよ 淋しさよ」
父の遺した家屋敷を争って継母や仙六(継母の息子)と折半し、漸く一家の主となれた一茶は、相も変わらぬ不自由な独身生活です。大の字になって寝ても、訪れるのは人ではなく、涼風と寂寥感ばかり。結婚運にも恵まれません。
その一茶が結婚できたのは52歳、妻の菊は28歳でした。しかし、54歳でもうけた長男千太郎は、1ヵ月で夭折。56歳の時に長女さとが、数えの2歳で病死。58歳で授かった次男石太郎は、翌年、母の背中で急逝。60歳で誕生した三男金三郎も翌年に死亡。同年には、妻菊が37歳で病没しています。恵まれない男、不運な男、薄幸の男一茶です。
「露の世は 露の世ながら さりながら」
「亡き母や 海見る度に 見る度に」
「痩せ蛙」を応援する庶民派で諧謔派の一茶の別の顔が、そこにはあるように思いました。
※画像は、クリエイター・川中紀行さんの、タイトル「週刊『サンデー毎日』“サンデー俳句王”入選全二百自作句掲載」をかたじけなくしました。お礼申し上げます。