No.1278 ストローの思い出
5月下旬から6月上旬にかけては、麦秋の季節、 初夏の麦の刈入時の季節ですね。私が子供の頃は、春から秋にかけて米を作り、今度は秋から春にかけて麦を作る、いわゆる「二毛作」の農家でした。
秋に蒔いた麦の種が、冬に小さな芽を伸ばすと「麦踏み」の手伝いをさせられました。踏むことで、株が根を強く張り大きく育ちます。子供の成長の心にも必要な麦踏みでした。
春になると雲雀が麦畑にやってきて巣をつくりました。「雲雀はヘリコプターのようだ」と言われます。本当にその通りで、垂直に飛び上がり、垂直に飛び降ります。そんなのどかな世界が、我が農村にも広がっていました。
しかし、うまく実るとは限りません。ある年、稲穂が真黒くなり、炭のようになりました。子供たちは、「インディアンごっこ」と称して、顔に黒く塗りたくって遊びました。それは麦の病気だったと後で知るのですが、ご気楽至極な子供時代でした。
父が亡くなり、祖父母が老いて逝き、母が一人で田んぼの世話をするようになるよりも前に、麦を育てる事も無くなったように記憶します。手を掛けられる余裕がなかったのかも知れません。
子供の頃の夏と言えば、冷たい「カルピス」を飲みましたが、麦の穂(まさに、ストロー)で飲んだ記憶があります。ウィキペディアの「ストロー」の項に、
「日本でも1950年代後半頃までは喫茶店やカフェで麦わらが使われており、紙封入りの麦わらを、冷えた飲み物のコップに付着した水滴を利用して縦に貼り付け、ウエートレスが客席へ運ぶ姿が見られたものである。」
というのがありましたが、私の田舎では、1960年代でも麦の穂ストローは健在でした。
今では、田舎でも麦を作る農家は極端に少なくなり、雲雀の姿も見かけなくなりました。20世紀半ば過ぎの思い出話ですが、今も帰省すれば鮮やかに記憶がよみがえる昔のままの田園風景です。時代も人も移り変わりました。
「うらうらに照れる春日に雲雀上がり心かなしも一人し思へば」(4292番)
今から1271年も前の、天平勝宝5年(753年)に詠まれた大伴家持の歌です。万葉集に「ひばり」の歌は3首だけだそうで、いずれも哀愁を感じる歌として詠まれているそうです。なんだか、ノスタルジーを感じてしまいます。
※画像は、クリエイター・geekさんの「収穫前の麦畑」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。