No.1488 我が家のおつう
「雀の千声 鶴の一声」
(つまらない者の千言よりは、すぐれた者の一言のほうがまさっているということ。)
これは、「夫唱婦随」ではなく「婦唱夫随」のわが家でまかり通る「雀」の私と「鶴」の妻との力関係を如実に物語ることわざです。
なぜ「鶴の一声」というのか調べたら、
①鶴は首や気管が長く、鳴管が発達しているため、トランペットなどの金管楽器のようによく響く大きな声で鳴くことができるから
②その鳴き声は力強く、遠くまで聞こえるため、発言力を持つ人の一言に使われるようになったから。
とのことでした。
わが家の「鶴」は、立派な鳴管を持っている訳でも大声を上げるわけでもありませんが、発言力は並み以上で、気の弱い私は、ついつい「御意!」と意思表示してしまいます。
新年早々、その「鶴」が
「最近、お年寄りの男性の家では、女性と同じように便座に腰かけて小用を足すそうよ!」
と一言のたまいました。
カミさんにしてみれば、トイレの掃除をするたびに、あちこちに飛び跳ねた跡があったり、臭いが残っていたりと、鼻つまみ者(意味、違いますか?)の私に一言物申さないではおられなかったのでしょう。
「き・き・君は、実際に見たんか!」
70年以上続けて来た男子の立ち姿を、1夜にして粛清させようとは!と口をとんがらかして反論したい気持ちをグッとこらえて、「鶴」の心情を害さぬように喉から押し出した言葉は「御意!」。不承不承にトイレのたびに便座と親しくなる毎日です。
ところが、でも、しかし、けれども、もう半月以上経つのに、我が家の男子トイレは掃除の後みたいにきれいなまま、清潔なままです。「お花畑みたい!」な匂いに満たされた心地よい空間です。あらま、「鶴」の言うとおりでした!鶴の一声、おそろしや!
木下順二の戯曲「夕鶴」は、おつうの献身に、与ひょうが「運ず」や「惣ど」にそそのかされて金に目がくらみ、無理矢理機を織らせ、その正体を知ることで一番大事なものを失ってしまうお話です。わが家の「お鶴」は、機織りこそしませんが、時折トイレ掃除をすることで斬新な提言をしました。「与ひょう」ならぬ私は「うひょー」の声を上げ、これからも便座と親睦関係を深めてゆくことを決心した次第です。
やってみなはれ。やらなわからしまへんで!
※画像は、クリエイター・みおいち@着物で日本語教師のワーママさんの、タイトル「知ると楽しい吉祥文様②動物編」から「鶴の文様の帯」の1葉をかたじけなくしました。みごとな織の帯です!お礼申し上げます。