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No.1453 うなりました!

「弁論」って、いいなー!

高校生の弁論大会を聴かせてもらいました。71歳の爺さんをゾクゾクさせ、嬉しい気持ちにさせていただいたお話です。

 私達にとって、SNSの存在を大きくしたのはコロナ禍でした。感染を避けるため、思うように人と触れ合えない、もどかしい中学時代を過ごしました。「リアルな毎日」が断たれた中、小さな画面を頼りに、慣れ親しんだ友人、いつもの場所と接する日々は、常に寂しさと隣り合わせでした。祈りにも近い自身の不安のよりどころとして、繋がる貴重な手段として、SNSがありました。だからSNSが簡単に切り捨てられる存在でないことも、痛いほど知っています。しかしリアルが戻った今も、なぜこんなにSNSが使われるのでしょうか。
(中略)
 私には好きな広告があります。毎朝駅で見かける歩きスマホのポスター。「目の前の人をよけるより、大事なことってなんですか」。初めて目にしたとき、恥ずかしさに思わず声を上げました。ついさっきまで、スマホに夢中で目の前の人を全く見ていなかったことに気づきました。電車にどのくらい人が乗っていたか、どんな人がいたか全く思い出せなかったのです。私たちの大切な現実は、薄い一枚の板であるスマホの中にはなく、「今、ここ」に立っているからこそ、見える景色や感じる空気、自分の中から沸き起こる感情や思いがあります。今本当に恐れるべき無知は、目の前の現実から意識が分断され、私たちの今いるリアルと別の場所へと意識がそがれている事でしょう。
(中略)
 私たちの目の前には、対処しきれないほどの痛みを伴う出来事や人間関係、考えなくてはいけない未来があります。断片的できらきらした「ばえ」を追うことでは満たされない満足感や達成感があります。現実を中断し、SNSに追われる日々に区切りをつけませんか。SNSに関して「無知は罪」ではなく「知らない安らぎ」もあるのではないでしょうか。きっとこの課題は、そんなに簡単ではないでしょう。しかし、SNSしか頼るものがなかったあの時に、いつまでもとらわれてはいけない。私たちの世代のSNSとの良い関係を今一度再考し、新しい文明の扉を開け、共に歩もうではありませんか。

中津の全国高校弁論大会にて

私達の日常に、当たり前のように起居しているSNSに対する、何とも頼もしくて良識的な弁士の論旨は明解でした。淀みなく流れるような爽やかな弁舌に、会場の聴衆は水を打ったように静まり返り、その世界に引き込まれていました。

そうはいっても、「スマホがなくなったら死んじゃう!」とまで言ってはばからない十代後半の若者もいる昨今、SNS離れは至難の業でしょう。高校生の1日のスマホ利用時間は4時間近くにも及んでいると言います。寝る間も惜しんでということでしょうか?

「私たちの目の前には、対処しきれないほどの痛みを伴う出来事や人間関係、考えなくてはいけない未来がある」
という現実から目をそらさないようにするSNSとの新たな付き合い方を模索し、共に進みたいとする女子高生の弁論に、身近な問題だからこそ誰もがその話題の主人公になったようで、聞き耳を立てていました。大人の私も、その提言に共感してしまいました。

弁論は、語り手と聴き手が「気」で結ばれ、両者で作り上げてゆくスピーチのように思われます。彼女の発表後、大きな賛辞の拍手が送られ、しばらく余韻のようなざわめきが会場に残り、印象深かったことを物語っていました。大きな感動を、有り難うございました。


※画像は、クリエイター・tamanabiclub-note(たまなび倶楽部note)さんの1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。