No.1214 嬉し恥ずかし…。
美味しい道草もありますが、嬉しい道草もあるようです。
21世紀が始まった年の1月に行われたウォークラリーに、カミさんと二人で参加した時の思い出です。気力体力が弱ってきたころ、ちょうどお昼になりました。
大野川沿いに、名前は失念してしまいましたが、イタリアンレストランがあったので入りました。私はイカ墨パスタ、カミさんは明太子クリームパスタを注文しました。パスタの茹で加減良く、お味も良く、ウェイトレスさんの愛想もよく、窓越しに見える眺望もよく、お蔭で足のしびれや痛みを少しの間忘れることができました。
我々より少し後に、ウォークラリーとは無関係の30代の夫婦が店に入ってきました。あれ?と思ってよく見れば、まごうかたなき15年前の教え子でした。思わず声をかけ、久闊を叙しました。すごく立派になっていて、こちらの気が引けました。
古語に「恥づかし」があります。『枕草子』の「うれしきもの」の段に
「恥づかしき人の、歌の本末(もとすえ)問ひたるに、ふとおぼえたる、我ながらうれし。常におぼえたる事も、また人の問ふに、清う忘れて止みぬる折ぞ、多かる。」
(こちらが気後れするほど優れている人に、歌の上の句や下の句を聞かれて、とっさに思い浮かんだ時は、我ながら嬉しい。いつも覚えている歌も、人に問われた時には、綺麗に忘れてしまって思い出せないままになってしまう事が、多いものだ。)
と書かれているくだりがあります。
「恥ずかしさ」の中には、「相手がすごくて、こちらが引け目に感じてしまう」意味があるのでしょうね。そのことは、昔も今も変わりません。教え子にこちらが気恥ずかしく感じるほどの成長を見るのは嬉しいものです。思いがけない出会いと驚きでした。
こういう思いもよらない邂逅いも散歩の魅力です。「道草の妙」と言えるかもしれません。カミさんは、真っ黒になった私の歯を見てちょっと引いたかも知れませんが。
「陽光に ふれてみたくて 回り道」
高橋貞子(第36回彦根市民文芸作品入選句)
春の陽気は、楽しい道草にいざってくれますね。
※画像は、ideal.exe・放蕩おじさんの「イカ墨パスタ」の1葉をかたじけなくしました。真っ白な皿・真っ黒なイカ墨パスタ・グリーン(バジル?)の葉のコントラストが目に染みるようです。お礼申し上げます。