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No.1320 大王さまー!

先日、弓の師の突然の訃に接したことをコラム「仁の音」の「身まかり師」(7月31日)で書きました。コロナ禍による思いもかけない最期でした。

その後、『十訓抄』の巻第十「才芸を庶幾すべき事」(自分の才能や技芸を磨きなさいという話)を読んでいたら、その中に感動の話がありましたのでご紹介します。「巻第十ノ二十五」がそれです。少し長い訳文ですが、お付き合いください。

 奈良に、舞の師で字(あざな)を和(やまとの)博士(大神)晴遠という者がいた。先祖代々還城楽(げんじょうらく)を舞って天皇にお仕えしていたが、この舞を弟子に伝授しないうちに、病に罹って死んでしまった。折しも土用の頃(土の気が強く、穴掘りが禁忌)であったので、棺桶は、柞の森(ははそのもり。京都府相楽郡精華町の祝園神社の森?)の木の下に置いていた。
 さて、2~3日が経って、その木の前を木こりが通り過ぎていたら、何か物がうめく声がしたので、怪しく思って、その葬家(大神晴遠の家)に知らせたことから、妻子や親類たちが行ってみたところ、(なんと)生き返っていたので、家に連れて帰って、あれこれ介抱したり世話をしたりするうちに、次第に意識がハッキリして来た。(晴遠が)言う事には、
 「わしが閻魔大王の王宮に参って、罪が決められた時、一人の冥官(地獄の 役人)が、『日の本の舞の師である晴遠は、いまだ還城楽を誰にも教えないうちに、その身を地獄に召されてしまいました。今回は、娑婆の世界に返してやって、舞を伝授させてから召し寄せるのが宜しいと思います。』と言った。そのとき、みながそれぞれ議論し合い、『本当にその通りです。(弟子に教えて参れ。)そうして、今度の(興福寺の)常楽会(涅槃会=釈迦入滅の法要)の舞を務めて来い。』と言われて、送り返されたと思ったとたん、生き返ったのじゃ。」
 と語った。親しい者たちは喜んで、「本当に還城楽の御霊験は、何ともスゴイことだ。」と言い合った。
 その後、この舞を弟子に伝え終えてから、亡くなった。弟子の名は上府生(?)季高(すえたか)といった。
 この晴遠の先祖の舞人の家に還城楽の面がたくさんあった。「ふりおもて」と名付けて、代々これを伝えていたが、今は奈良の宝物になっていると聞いている。閻魔大王の王宮でも、この舞の道を重んじておられることは、おそれ多いことである。
 
ね!とっても「ゆかしい」お話でしょ!
「あの人に、もう一度会いたい!」と何度呼んでも泣き叫んでも、現実には叶いません。しかし、一芸に秀で、閻魔大王も首肯する人物であるなら、事情を考慮して再び娑婆の世に送り返されることもあるというのです。何とも人間的な発想の愛すべき閻魔大王です。

弓道の恩師・I先生は、後進に伝え教えるべき確かな技量と豊かな人生哲学をお持ちでしたが、大王の目に留まらなかったのでしょうか?こんな私のために生き返ることは無理だとしても、ひょっとしたら何か別の形で、その処世訓や弓術について教えをいただけることもあるのではないかと、前向きな期待感を抱くようになりました。

それにしても、召されないと言うことは、「まだ何かやることがあるぞ。」ということなのでしょうか?有形無形であれ、役に立とうが立つまいが、そこはかとなく生きようが…。