引きこもり時代、格闘ゲームが下手過ぎて友達を失った話 ~ゲームが出来るのも一つの才能~
今回は私の体験談を語る、エッセイ形式の記事になります。
よく「ゲームばかりで不安」「ゲームなんてできても何にもならない」というアンチゲーム論が見られますが、実はゲームが出来るのも才能なんだよって話を伝えたいです。
聖人ばかりだったゲーム研究会の仲間たち
私は高校一年生の夏休みから、高校三年生の夏までの間引きこもり生活を送っていました。
ただ、引きこもりとは言っても例外的に出かけることもありました。その中の一つが、中学時代に大変仲良くして頂いていたゲーム研究会の方たちの家に遊びに行くことでした。
当時の私にとって、これが唯一の生きる意味だと言っても過言ではなかったです。
空前の格ゲーブーム
私が高校を辞めてから、ゲーム研究会の中で「ストリートファイターⅣ」というゲームが流行りました。
ほぼ遊ぶ時はずっとこのゲームをやっていました。私も当然、みんなと遊ぶためにソフトとアケコン(格闘ゲーム用の専用コントローラー)を買い、みんなと遊ぶ日を心待ちにしました。
難しいコンボは全く出来ませんでしたが、なんとか波動拳くらいは出るようになるまで練習しました。このころは比喩ではなく一日中格闘ゲームの練習をしていました。すべてはゲーム研究会の友達と遊ぶためでした。
しかし、いざ遊ぶ日になると問題が起きました。コンボが出来ないと、対戦のスタートラインに立つことも出来なかったのです。
大学に進学したとたん、連絡がゼロに
格闘ゲームが好きだった彼らにとって、格闘ゲームの基礎の基礎であるコンボすらできない私は「居るとしらける存在」だったそうです。しかし彼らは私を気遣い、そのことを一切態度には出しませんでした。
後に私は大学に進学し、大学では何人か話す仲間も出来ました。その次の瞬間、ゲーム研究会の人たちは私に一切連絡をしなくなりました。
なぜ 急に連絡がなくなったのか
ゲーム研究会のメンバーのうち、二人(大学卒業後関係を取り戻したメンバーがもう一人いて、現在では三人)は私と関係性を持ち続けてくれました。
そのうち片方に、私は「なぜゲーム研究会の人たちは、自分に連絡をくれなくなったのか」を聞きました。すると彼は大変言いづらそうにしながら、答えてくれました。
「格闘ゲームの会なのに、一切格闘ゲームができない人を遊びに誘うのが苦痛だったこと」
「当時不登校でネガティブな発言も多く、一緒にいるだけで息苦しかったこと」
「そもそも一緒にいて、全く私に魅力を感じていなかったこと」
「格闘ゲームができないのにしつこく遊びたがる私のことが、徐々に嫌いになっていったこと」
「でも、知り合いが自殺されたらいやだから、死なないようにという理由で時々遊んでくれてた事」
「私を除いたグループlineを作られていたこと」
「大学で上手くいっているから、今なら連絡を絶っても死なないだろうと判断したこと」
「私との関係を絶たない事を決めたその友人に対し他のゲーム研究会のメンバーが「絶対死なすなよ」と託した事」
私は本当に、悲しい気持ちになりました。ただ、本当は嫌いな人を死なさないためにずーっと遊びに付き合ってくれたゲーム研究会の人たちに、心の底から感謝したい気持ちも湧き上がってきました。
今でも時々、「せめて私に人なみ程度に格闘ゲームの才能があったら、彼らと仲良くできたのかな」と思い出すことがあります。
私がこの記事で伝えたいこと
「ゲームが上手い」は立派な才能です。たとえプロになれるレベルではなくとも、それをきっかけに友達が出来たり友情が深まったりします。
また確率は低いですが、配信業などを通して人気者になれる可能性もあります。
ゲームが出来る事って素晴らしいんだよ、というお話でした。