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⑰さては執念凄いな…? モネ睡蓮のとき/国立西洋美術館(台東区/上野)
印象派という画家たちがいる
私のなかでは漫画・ギャグマンガ日和に登場するルノワール・セザンヌの話が一番初めに出てくるのだが、作中ですったもんだ絵画対決をしている彼らだが…実は印象派はとんでもなく凄いひとたちだったのだ
そのなかでひと際人々に愛される、クロード・モネは生涯をとおして水面を描く睡蓮の作品を何度も何度も描いている
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西洋画、特に風景画難しいな~~~などと思っている自分がいる
どっちかというと日本画のほうが好きで、西洋画はあんまり触れてこなかった…
感性の違いなのだろうか、単純に「美しい」とは思うが「何描いてんのかいまいちわからん」というのもあってかあまり観ることが無かった西洋画
今回行くキッカケになったのが、我がデザインのいろはを教えてくれた師匠のアート勉強会・ARTDATEである
前回1年前にデ・キリコのアート勉強会を開催したのを皮切りに第2回としてモネの勉強会を開催するとなり、更にグラレコの仕事を頂いた
かねてより、前述のギャグマンガ日和で登場する話もあってか興味はあったものの果たして理解が追いつくのか…と思いつつ、上野恩賜公園の国立西洋美術館へ足を運んだ
(…ら、日曜日ということもあってか激混みだったのでこれから会期中、休日に行く人はそれなりの覚悟をしていった方が良い!!!ほんとに大混雑!!)
クロード・モネってどんな人だったのか?
クロード・モネは1840~1926年、19世紀を代表するフランス人画家だ
勉強は苦手だったけど、子供の頃にフランソワ=シャルル・オシャールとい画家に出会い素描絵を学び、似顔絵を売り出すようになったことから、彼の画家人生が始まる
絵を学び始めた10代の頃から才能を開花させ、それはもうとんでもなく、歳のわりにめちゃめちゃ上手かったから小遣い稼ぎできたそうだ
1859年、パリでルノワール、ピサロら「印象派」に出会い、王家開催の展覧会へ向けて作品制作をするうちに古典的な美術観の絵画に疑問を抱き始める…
それは当時、絵画というものは「記録」であり、「物語」を伝えるためのものとしていたのが一因らしい
モネたちはそんな宗教や伝承に基づいた画を描くより、「日常風景」や「現実的なもの」を描きたいと思っていたそうだ
それがモネの代表作「睡蓮」シリーズだ
モネの画は”自然を自然らしく”描くことにこだわった
絵画が日常風景や現実的なものを描く、ということになるとより忠実にハッキリとした輪郭で描くことだろうなとぼんやり思っていたのだが…
モネの描く画はそうじゃない
ベタっと筆の絵の具がそのままキャンバスに乗っけたようなタッチで、輪郭など見当たらない
特に、晩年描いていた、広大で贅沢な自宅の庭なんかは輪郭という輪郭は無い
ぼんやりとしたような、そんな印象のある画である
さらに、モネは面白いことに同じ構図の画を何枚も、何十枚も、朝昼夜と表情を変えながら描いている
まったく同じ構図で、色の違う、表情の違う画を描き続けていた
これはモネのスタンスとして「景色は移り変わるものだから書き続ける」といったものによるらしく、正直狂ってるな…と思ってしまった
同じ構図を何枚、数枚レベルでなく、何十枚も描くなど、正気か?????と疑ってしまうほどのことだ
そのくらい、モネ自身は描くことが好きだったんだろう
そして突き詰めるほどにストイックなんだなと感じた
モネの広大な庭園
若くして画家としての才能を開花させ、稼ぐことも出来たモネは庭師数人を雇えるほどの財力と広大な敷地の美しい庭園を持っていた
その庭園は、モネの愛したフランス・ジヴェルニーの庭をモデルに創られ、睡蓮や太鼓橋、藤棚、バラのアーチが彩るようなまるで物語に出てくる庭園であったそうだ
生涯の大半を自宅アトリエで過ごしたモネは、日々の画を庭園で描いては多くの名画を世に送り出している
それほどジヴェルニーを愛し、日々の創作へ昇華させていたというのだから、本当に好きな庭園だったんですね
また、庭園の太鼓橋は藤棚があり、水面との反射の光や近くに植えた竹藪から陰影を編み出しているという
かねてより日本好き、と知られるモネはこの構想を日本から着想したそうだ
それを自宅の庭で具現化しているのだから相当な財力があったんだ…
ジャポニズムとモネ
庭園にまで日本らしさを取り入れるほどの日本好きなモネは、絵画にも”ジャポニズム”を取り入れているという
時代的に、1862年にロンドン万博や1973年のウィーン万博でこれまで鎖国していた日本が参加したことによって日本画の大流行がヨーロッパで沸き始める
特に版画の浮世絵はヨーロッパの画家たちは文化や技法の違いに大層驚いたようで、流行の発信地であるパリにいた印象派の画家たちはその流れでジャポニズムに影響を受けたようです
モネの作品からは、日本画の大胆に描いたり、遠近法や連作を描くといったものが見て取れる
睡蓮シリーズの太鼓橋や、モネの奥さんを着物で描いた作品など、数多くの「日本好き」な面が伝わってくる
連作なんかはモネがコレクションしていた北斎画や広重画から同じモチーフを色々なVerで描くことを、浮世絵を研究し実験的に描いていたようだ
他の画家よりはるかに連作の数が多いのもうなずける…
空間を大きなキャンバスに
モネは装飾パネルの大作をいくつも描いている
それは睡蓮がメインで、複数枚を組み合わせて空間自体を大きなキャンバスとして世界観を表現するのがモネの目指すものでもあったそうだ
モネ展ではそんな、人より大きいキャンバスに描かれた睡蓮が観られる
とても大きくてびっくりするレベル
最終的に3枚描いた大作は展示する予定だった場所の財政的な関係で飾ることが叶わなかったらしいが…ここで観れるなんて良い経験だ
第二次世界大戦後行方不明になっていた装飾壁画
展示のなかで一番目立っていたのはやはり上半分が無い巨大な睡蓮の壁画だろう
これは2016年と割と最近にルーヴル美術館で発見されたもので、松方コレクションを築いた松方幸次郎が1921年にモネのもとに訪ねて直接買い付けたものらしい
装飾画を売却することを嫌っていたモネが生前唯一売却を認めた作品である
現在は国立西洋美術館が所蔵しており、今回のモネ展でその貴重なパネルを鑑賞することが出来る
上半分がないので、下半分は恐らく水面である
そのなかでポツンと赤い睡蓮が咲き、もの寂しさを感じつつも美しい水面の睡蓮を想い馳せられる
晩年は白内障がありつつも描き続けたモネ
白内障を患い、痛みがあり、色覚異常もあったモネだが、画を描くことは辞めなかった
ひたすら描き続けている
1923年に手術を拒みつつも、画家の命であろう目の異常があったにも関わらず描いたのだろうか
色覚異常があったので絵具の表記やパレットの場所を頼りに描いていたそうだが、にしても難しいことだと感じる
やはり私も絵を描くが(ジャンルは違うけど)、色が分からないとどう描いていいか悩むものだ
しかし自宅庭園で制作するモネを捉えた、会場で流れていたムービーでは一寸の狂いなしにモネはキャンバスに絵具を置いている
もはや執念の域とも感じる
描き方も晩年は抽象度が最大限にまで上がっておりもはや何が描いてあるのかぱっと見では分からない
しかしモネの描く、自然を自然らしく、というのも頷けるような作品が多かった
画を描くことの執着とモネの才能を感じた
激混みの日曜日の国立西洋美術館であったのでなかなかゆっくりと観る余裕が無かったが、不思議とモネの想いと執念、才能、好きなものからの影響が感じ取れたと思う
とても不思議な空間でありながらも、じっくりと見るとモネの描く自然の美しさが伝わってくるような、そんな作品たちだった
鑑賞後はアート勉強会イベントでクロード・モネの作品を学びながらグラフィックレコーディングをさせていただきました
歴史的背景から美術の鑑賞の面白さを感じた中身の濃い一日でした
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モネ睡蓮のとき(国立西洋美術館)は来年2025/02/11迄開催しているので是非足を運んでみてはいかがだろうか?
土日は非常に混雑するのでそれなりの覚悟が必要だが…!
グラレコじっくり見たい方はこちらから↑