数年ぶりの…失声症再発、通じない気持ちが辛い、原因を探る
失声症をご存じだろうか。
その名の通り、声を失う症状だ。
そいつは…急にまたやってきた。
7年ぶりに。
突然やってくるヤツ
約7年ほど前、新卒で入った会社で意識不明になる。
そして運ばれた病院を後に、次の日から
声が出なくなった。
精神科へ掛かり、約半年かけて声を取り戻した。
しかしその時は、今思えば無理やり治したようなもんだ。
早く、次に就職しないといけない。
そうやって焦ってたのもある。
金銭面的なことより、どこかで会社員をしないとダメだ。
そう思っていたから。
謎の”縛り”が蝕んでいたのは子供の頃からだったかもしれない。
根本的な原因って何だ
二度目の就職をする。
でも4年半後、うつになる。解離性障害も併発。
一度目は適応障害。
原因は何だろう。と毎回思う。
人間の心とはなんともわからない。
そりゃ…わかったら世の中のうつの人困ってない。
しかしながら私はつくづく研究家なのか、”理由”探しに凄い頭を使う。
車の故障探求でもやってるようだ。もはや職業病。とっくに離れたのに。
笑えない習慣である。
まるで人間の故障探求。
うつになって、失声する。
原因何だろう。
私は医者じゃない。でも医者でもわからない。
だって2年くらいお世話になってる主治医の先生を困らせるほど。
症状を治すことがいかに難しいことか。
そもそも、うつの原因は何か。
職場環境か、家庭環境か、学校環境か。
一時的なものならその時の環境が原因なんだろうが、2回、3回と繰りかえし再発するともはやその時の環境じゃない気がしてきた。
調べたりすることは苦ではないので、見てみると
”幼少期の経験”が根本的原因があるという記事を見つける。
そうかもしれない。
過去、何度も親と衝突したことがある。
そのたびに「過去を掘り返すな」「人間なんだからしょうがない」「今更どうしろと言うんだ」と反論される。
幼少期~思春期を振り返ってみる
うん…そうなんだけど…
特に母は根性論が凄かった。逆に父は元の持病があるので無理すんなよとほっとかれるのが多かった。
というか、ウチは離婚が早くて、物心があった私は両親の元を転々。
あっちにいったりこっちに行ったり、子供ながらしょうがないのだろうが、小学校に上がってから高校生まで非常にあっちこっち行ってた。
というか「お母さんお父さんどっちが良い?」と聞かれても困る。と思ったもんだ。どっちもどっちだ。本当に。…なんて思っていたけど。
正直どっちも嫌だった。
母の根性論も、父の放任主義みたいな縛りも。ていうかどっちも自己主張激しくて無理。私も大概自己主張の塊だけど…無理なりに居場所を見つけてやりくりはしてた。友達には恵まれたほうだなってつくづく思う。友達いなかったら学校も行けなかった。いじめもあったけど。
これが幼少期からだった…そりゃ家にいたくないわ。
自慢じゃないが私は学校へは行く方であった。高校は3年間皆勤だったし。
家より学校やバイト先のほうが落ち着くタイプだった。
でもこれは長くは続くわけがなく。
学校を卒業後色々な不調に悩まされることになる。
社会不適合にもほどがあるなと思うほど。
幼少期の親の離婚って相当なダメージを食らうらしい。
人格形成にも壁が出来る。だろうな。そりゃ、子供の世界って基本家庭。
私なんて子供出来たら…と考えるとそういう環境にいたから怖くて子育て無理だなって思う。友達の子供見るとほんわかして良いなとは思うけど、昔は子供嫌いすぎてやばかった方。
トラウマを思い出す
そして気づいた。
関わる人間のある一定の年齢の人を無意識に苦手だということに。
特に、50代~60代、世代は関係なしに、その年齢層の人が苦手である。
何か分からないことを聞くにしても、口がもごって言葉が出ない。
冷や汗も出る。何でかよく分らないが、言いたいことが言えないのだ。
さて、なぜそうなのか、よくよく思い出してみる。
親が離婚した当初、父は50代。母は30代だったと思う。
私は父のほうにいた。前述したとおり、父には持病があった。良く知らないが、持病でも自営で全国を飛び回り仕事していた。
しかし、”縛り”がきつかった。小学生にもなると、家事をしなければいけないことが苦だった。
ご飯を作る。失敗する。洗濯する。服がうまくたためない。掃除は…超苦手。ことあるごとに叱られて、友達に遊びに誘われても断るか、途中で帰る。じゃないと家事が出来ないから。怒られるから。
さらに当時珍しかった携帯を持たされ、学校にも持っていく。
連絡先は父と学校、お世話になっていた保育園の番号が主で、「何かあったら電話しなさい」「携帯は常に持っていなさい」と言われていた。
怒られると「ごめんなさいを100回紙に書きなさい」とよく言われた。
傍から見たら、「躾の厳しい親」なのかもしれない。
父は怒ると物が飛んでくる。リモコンとかコップも飛んでくる。流石に刃物は無かったが、とにかく物を飛ばしてくる。妹に当たると嫌だったので必死に耐えてた。反論するとヒステリックになるのでジッと座って耐えてた。
でも、そんな父だったが、学びに関することには結構色々やらせてくれたのでそこは感謝してる。博物館や科学館、全国各地、色々連れて行ってくれた。博覧会ヲタクになったのも父のおかげ。
とんでもねぇ50代を過ぎて、父は丸くなったほうだ。物は飛んでこないし、怒ることも減った。でもいじけるとメンドクサイ老害になった。そのたび妹がギャーギャー騒ぐようになった。
妹よ…なぜ悪いところばかり親に似てしまったんだ…急に叫ぶな…母によく似てる。一緒にいなかったはずなのに似すぎてる。
逆に母はというと、私が幼少期、30代。印象は仕事人間だった。とにかく働く。でもよくケンカして辞めてた。あとなんか次女コンプレックスが強くてこれはこれで怒るとメンドクサイ。ギャーギャーまるで今の妹のように急に叫び怒り出す。最後に一緒にいたとき50代前半だったか…
まるで話を聞かないし、私は被害者だとかうんたらかんたら一方的。
これはこれで私はジッと耐えていたが、最後はもう限界が来て取っ組み合いになった。…ので家を出ることになった。
と、まぁ父も母も最終的にはメンドクサイ人間なんだな…と大人になった今痛感している。「こんな大人にはなりたくない…」と何度思ったことか。
しかし、そんな軽々しく、思っていても、深淵ではかなり深刻なトラウマだったことに…今回気づいた。
うつ+解離性+そのほか諸々症状と
どう付き合っていけばいいんだ…と混乱する。
薬物療法が一番にくるだろうが、どうも合わない人もいる。私みたいに。
民間療法が効くのか…?と色々探している。いまだに。
とりあえず症状がいっぱいあるのでどこから治すか難しいのだけど…
とりあえず心因的今の症状を書き出す。
・うつ(無気力がでかい)
・解離性(多分健忘がでかい)
・自律神経障害(やたら汗かく、頭痛すごい)
・睡眠障害(過眠と入眠悪い)
・起き上がれない
・疲れやすい(多分HSS型の特徴)
・ひとりだとご飯食べない(食事が面倒)
・声出せない
・忘れっぽい
多すぎてもうよく分らないな…
なぜここまで…こう…なるのか…
子どもの頃は健康だけが取り柄だと思ってたのになぜこうなった。
10代半ばくらいからこんな症状が津波のように来る。
来ないでほしい。正直。
月経にも問題があるし(検査では良好と言われる)、もういい加減にしてくれっていつも思う。
理解も得られないし、なんかもう「怠けでしょ?」とか思われるのしんどい。本当につらいのに。
病名も「そう…だろうな?」みたいなやつだし
公的サポートを受けたくても微妙なラインなので…
(でもこの間やっと精神障害手帳の申請をすることが出来た通ったかは謎)
仕事するにも今回のように声を失う。
起き上がることが困難でもまさかまた失声になるとは思わなかった。
トラウマが根本原因なのか…?と考察する今回。
バイトは辞めました。3か月。1年はやるつもりだったけどもやばいと思って辞めました。しかし失声なので電話も出来ず配偶者に代理してもらいました。
しかしこんな色々な症状と…どう付き合っていけばいいんだ…?
治療、回復、波があることをわかってても
繰り返される処方薬の変更。
2年前の当初に比べたらずいぶん安定したが、うつというやつは安定期が一番危険らしい。
頭ではわかってても、身体はわかってない。
いくら原因の考察をしても、解決、克服するとは限らない。
人間とは…なんとも複雑な生き物か。
分かればみんな苦労しない。困ってない。
闇を感じる~~~~~
ひとつ、忘れないでいようと思うのは
「人にやさしくしよう」ということだ。
それだけでも、偉いと思うことにしよう。
今は。
そのうち…声出るようになるさ…。
多分。