場違いであること、または裏と表、そして愛を信じる
私が真剣に就職したのは普通の人たちより7,8年ほど遅め
私よりうんと若い子たちと始めの一歩だった
その後
結婚したのも同じく普通よりは10年くらい遅いと思う
そのおかげで、職場での底辺のたて社会とかには無関係、我が子の公園デビューやママ友や訳のわからないヒエラルキーにも無縁
いつも、ひとりでも、平気だった
それは一生続くわたしの道だもん
極め付けは、ほんとの恋に巡り合ったのが、夫が他界してから3年後のことだということ
生きていてほんとに楽しい、いま
生きていて良かったと思える、いま
小学生のときから
早熟でおとなたちには可愛がられた
同世代とは話が合わない
小学校の修学旅行では、担任の先生が私の肩を抱き寄せて、記念撮影
今なら、大変だよね
早熟なのは頭だけ、痩せっぽち、ガリガリな少女だったわたし
小学生なのに、大菩薩峠の机竜之助とかのことぼんやり考えていた
いつも、逃れてしまおうとすると、その苦しみの一歩手前で誰かが助けてくれる
すべて語ることの怖ろしさに耐えかねて、たくさん喋らなくても伝えられるように、短詩系を好む
それはやがて、誰にもわからないかもしれないものをつくることへの道標となる
自らを
感じ
そして
そうぞうしなさい
掌に残るものは自分で勝ち取ったものだけ
小学校の一等好きだった担任と、卒業後三十年ぶりに偶然出会う
長い間教師をしていて、君のような生徒はほんの2、3人もいたろうかと
記憶の淵に私を住まわせてくれていた事
正直、嬉しかった
何より、嬉しかった
良い大人たちに
わたしは
巡り合えたのだもん
話せば三十数年など、ページを1枚めくったくらいのこと
結婚して、夫に裏切られていたことを何年もすっぽりと忘れてしまっていた私には、記憶とはなんと曖昧でご都合主義かと
何かをつくる
何かをあらわす
その作業に
早すぎることも
遅すぎることもない
今を生きねば
良い
おとなに
ならなければ
そして、
愛を
信じなければ
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