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私は何者か、514
雨、だ。
ソファに寝そべって、週末の家の窓からは少しの空と高い山が見える。よく言われるところの、額縁のなかの風景。切り取られた景色。雨には、脚がある。素早く、美しい。見えているのに、その残像さえも刻々と形を変えてゆく。さっきそこにあったものが、もう、ない。雨の音か、雨がものを叩く音か。雨そのものの、雨と呼ばれて久しい水よ。流れは、どうだ。その先端を少しずつ膨らませ、前人未到の原を、むくむくと立ち上がりながら、進んでゆく。ずいぶん前の記憶の淵に降った雨だな。なぜって、少し、懐かしくもおかしげで、悲しそうな色をしている。もう、戻れないとか、戻って来ないとか、もちろん戻る気もなければ、戻るわけもないのだから。少しずつその幅を広げながら、やがて点から線へ、線から帯状に蛇行しながらも、ゆくしかないのである。後のことは、わからないし、後悔というありきたりな自己否定や、知らぬ間に積み上がったスとレスたちよ。静かに、解かれるのを待つ。待っていても、良いと。良いぞよと。その僧が、口から、何やら、んむ、南無阿弥陀仏と。
幾つ、数えたか。
幾つ、いくつ。いや、そんなところに、居着くのではないと。
行かねばならないというものでもないが、ゆかねば、我は、我でなくなる。
走るか。
歩くか。
五体投地か。昨日、葉っぱの間にいたな。尺取りよ。日の暮れぬ前に、行けよ。
我といえば、ビール、飲んでる。
ひとりでも、平気だ。
自身に問うのみ。
わたしは何者か。