私は何者か、442
デンチストの診察台で、うとうとしてしまった。見知らぬ鳥がこちらを見ていて、羽ばたいて、飛んでいってしまったのか、いや、キューンと仕上げのブラッシングの音で、こちらの世界に引き戻された。
鳥は、ただの媒体で、しかも、仮の姿であり、自分の意見を持たない。
けれど、利口そうにも、間抜けにも、見える。
小さければ小さいほど、可愛らしく感じるし、
大きくあれば、怖いし、鳥ではないのかもと思ったりもする。むしろ、鳥などではないのに。
媒体を、押しのけ、冬の森へ。茨は密かに、息をひそめてその時を待っている。
出逢う人は、大概、優しく、親切で、好意的である。それも、細かい網目をくぐったかのような、その人自体が繊細な、心の持ち主であると思われる。機微とは、良く言ったものである。繊細に、その、心のなかの動きを察する、察して、移ろう、虚淵でなく、虚へ傾くのか、移ろう。こころの動きよ。
森は、香り高く、冬の深淵へ傾倒する。朽ちるとは、終焉ではなく、再生への、未来への布石ではないか。終わるたび、始まり。始まりは、終わりの始め。終わる旅をわざわざ始める。産声とは、あの鳥のことか。媒体の役目はなにか。
ひとりで、歩けるか。
ひとりで呼吸している。
森のなかの水槽に、肺魚。
その銀色がかったピンクの鱗を、軋ませてターンする。
帰らないと、伝えてほしい。
わたしは何者か。