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私は何者か、376


どこまで行っても、ひとりだと気づく。その度に徒労と吐露とトロリ滴るひとりであることのあるがままの涙であったり、または、自負であったり、そのまんま独りよがりの孤独であったり。そんなわけで、ふたりでいても、ひとりという、そのあたりまえすぎる現実に打ちのめされなければ、人ではないのか。などと、ビール4000ミリリットル。

死ねば、それは美しさだけが網膜をくぐり抜ける。まるで、点描のモナリザのようにだ。誰も彼もが、そんなふうに言うものだから、ちがうよと言えば、冷たい淵にスポイルされて、ふん、何?勝手にしろよ?って、いつ見ても、いやいや、それでも、そんなのニッチで小さすぎやしないかい、わたしを、それでも、嘘でもいいや、嘘なら、すぐに見破ってしまう。それでは、幸せについての常套句もしくは闇雲な雨雲の慳貪でもあり、また、その星の恐ろしいほどの清らかさでもある。

育つものはますます梅雨きのこ。

その罪を眠らずにいる事で償うとか。

そういうことではなく、むしろ、そこで、話を聞いて、知る、識ること。


なにも知らぬまま、死んだとして、こころは死なず、ここに残るのである。
知ったことを知ったうえで、果てまで行くことが、望むところ。


わたしは何者か。


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