双子が生まれて、夫婦の働き方がガラっと変わった話
2022年3月。
今から1年前、我が家に待望の第二子である次女が誕生した。
そしてその30秒後に、第三子である長男が誕生した。
男女の双子である。
双子がいる家庭というのはどこか特別で、自分とは違う世界だ…と感じている人も多いのではないだろうか。
実は私もその一人だった。つい2年前、産婦人科で双子妊娠の告知を受けるまでは。
自分が双子の親になるということをいまいち実感できぬまま、私のお腹は2倍の速度で大きくなり、あれよあれよという間に出産を迎えた。
6年ぶり2回目・通算3人目の出産
先に産んだ長女との差は6年。
たった6年、されど6年。
2回の妊娠出産は色んな意味で別物だった。
初産と経産婦。
単子と双子。
20代の親、30代の親。
当時の働き方と、今の働き方。
夫と私の関係性。
6年における、自身の変化と社会の変化。
伝えたいこと全部並べると長文になりすぎるので、今日のnoteでは「夫との関係性」と「働き方」にスポットを当てて書いてみようと思う。
孤独だった1人目育児
一人目を産んだ時、夫は週3〜5日で出張にいき不在。両実家とも地理的に距離があった。
いわゆる「ワンオペ育児」をしていた私は、常にネガティブな空気を背負っていたと思う。
ワンオペ育児で一番辛かったのは、いざという時に子どもについて同じ熱量で向き合える相手がいないということだった。
子供が病気の時、あるいは検診、予防接種、保活…さまざまな場面で無関心でいられる夫に苛立ちを感じていた。
その苛立ちは、きっと私の寂しさと孤独だったのだと思う。
たまに帰ってきた夫に子供のことを相談しても「ママに任せるよ」がお決まりだった。
任されている様で、切り離されている。そんな風に感じていた。
子育ての実務が片方に偏る時、子育ての権限もその片方に偏ってしまいがちだ。
双子の方が辛い?
話は変わって。
双子を連れて歩いていると、道行く皆様から「大変ね、双子を育てるのは…がんばって!」と激励をいただく。
たしかに双子は大変だ。普通に考えて2倍なのだから。
でも私は「双子育児の方が楽だ」と思うこともある。
長女育児の時は試合に出ずにベンチで待機していた夫だが、双子育児は大変すぎて夫がベンチに座れる余地はない。
いわば補欠のいない試合。
使えるものは監督でも審判でも使ってやろう、そのくらい人手に飢えながら生活している。
「双子育児の方が楽だ」と思うのは、この否が応でもフル参加せざるを得ない状況に置かれているからかもしれない。
夫は、かけがえのない「パートナー」になってくれた。
同じ足並みで親になる
私が初めに夫にお願いしたのは、母子手帳の記入だった。
保健所でもらってきたばかりの2冊の母子手帳。
その1冊を夫に書いてもらうことにした。
この時、あまりいい顔をしなかった夫。
だけど、1人は私、もう1人は夫、双子たちの発育状況を妊婦検診ごとに交換して書いていこうと提案した。
そのうちに、毎回の検診の数値を見ながら「はなちゃんより大きい?」などといって長女の母子手帳を引っ張り出してくる様になった。
検診の前日、市から配られた妊婦検診チケットを一緒に記入しながら「めんどくさいな〜」と言い合うのも恒例になった。
なんでもないことだけど、私は嬉しかった。
生まれてからの予防接種も、1人ではいけないので家族総出で土曜も空いているクリニックに向うことになる。
夫は予防接種のあまりの多さに驚き、そして記入する同意書のめんどくささに嘆き、毎月通うことへの大変さを憂いだ。
全部、私が6年前に通った道。
夫に話しても「大変だね〜」で片付けられた道のり。
だけど、今は夫と一緒の速度で親になっている。
それが私にはたまらなくありがたかった。そこには孤独はなかった。
「今」を持続することが不可能になった
もちろん良いことばかりではなくて、双子育児という少数派育児の壁を感じることもたくさんあった。
その中で「働き方」は生活に直結する部分だったので、これから長い人生を見越して今どう生きていけばいいのかを考える機会となった。
私の働き方
まず「双子を産んだ」と言うことは、フリーランスの私にとっては「しばらくまともな仕事できません」と言う様なものだった。
仕事の依頼をくださる企業さんや出版社さんだって、何が起こるかわからない妊娠出産期に仕事の依頼はできない。しかも双子!
フリーランスは仕事が仕事を呼ぶ側面が強いので、仕事露出ゼロの期間はなるべく作りたくなかった。けれど迷惑をかけることも、もちろんできない。
妊娠がわかった時点から仕事を絞り、今までに取引があった企業様且つ締め切りに多少融通が効く仕事(WEB連載など)だけを、双子出産のリスクを説明した上で受けることにした。
もちろん仕事は激減。
妊娠出産休暇など手当がない身としては、かなり痛手である。
夫の働き方
そして夫も、それまでの仕事を続けることが難しくなった。
夫の当時の上司は理解があり、できる中で最大限に考慮していただけたと思う。出産後1ヶ月はお休みをいただき、その後もリモートワークを優先させていただいた。
ただいつまでも同じ働き方はできないのが現実。
2ヶ月もしたらまた毎日出張の嵐がやってきて、夫が我が家から消えてしまった。
そんな夫が、出張から帰ってくるなり「辞めようと思う」と言い出した。
「このままでは家族を保てなくなるから、働き方を変える」
その言葉は私にも刺さった。
双子育児という波を超えるためには「今」を持続させることはできなかった。
私たちは夫婦揃って働き方を考え直す岐路に立った。
新しい働き方
では私たちはどんな働き方を選んだのか。
夫の新しい働き方
まず夫はそれまで勤めていた会社を退職し、少し給与は減るけれど早い時間に帰ってこられる別業種(職種は同じSE)に転職した。
毎日目まぐるしく変わる緊張感ある現場にいた夫は、穏やかな社内SEとなって「仕事のやりがいって意味では正直減った。でも幸福度は上がった」と言っている。
毎晩7時に帰ってきてくれて子どもたちをお風呂に入れてくれる。
長女の時は一度も沐浴できなかった夫だが、今では3人一気にお風呂を入れてくれる頼もしいパパになってくれた。
私の新しい働き方
一方私は妊娠出産期は外部からの仕事を取れない分、新規で仕事を増やすことは諦めて、その分自分が今までやりたくても時間がなくてやれなかったことをすることにした。
個人で考えて、聞き取りをして、デザイン・製造・販売まで行なうなら、育児が圧迫して多少遅れが出ても迷惑かからないと考えたからだ。
挑戦の年に当てることにして、かねてから作りたかったねこヘルプ手帳の制作を開始した。
ネットで出会った動物を大切にする人たちの実際の声を聞き、本当に必要なものを作りたいと子供たちが寝静まった後に夜な夜な作った手帳が出来上がった。
それが思わぬ反響をよせ、これから長く取り組んでいきたいテーマとして向き合うため、株式会社を立ち上げることとなった。
ありがたいことにSNS上でヘルプ手帳の進捗を呟いていたら、それを見た出版社さんなどから今まで通り個人での仕事もいただく様になった。
蓋を開けてみたら去年も例年と同じくらい働かせていただいた。
今年は漫画担当書籍が4冊出る予定だ。(無事終わったら…)
夫婦での新しい仕事
話は戻って、先ほど立ち上げた会社の話。
会社の代表取締役は私となっているが、夫の協力があってこそ立ち上げられたし、運営にも夫が大きくサポートしてくれている。
2人とも初めてのことばかりで、制作やEC管理・サイト立ち上げは私、配送や商標申請・経理などは夫が担当するなど、2人で補填しあって作り上げた。
たくさん喧嘩もしたし、それ以上にたくさん笑った。
今でもヘルプ手帳の取材依頼のメールは2人で手をあげて喜んでいるし、ヘルプ手帳の感想ツイートを見つけては2人でニヤニヤ見返している。
夜7時に仕事を終えて帰ってきた夫は、お風呂・寝かしつけと怒涛の子育てタイムを終えた後、毎日ねこヘルプ手帳の注文を袋詰めして送るというダブルワークをしてくれている。感謝。感謝。
仕事と夫婦の境界線が薄まった1年
流石に長くなってきたのでそろそろまとめようと思う。
双子を産むまでは
・夫→毎週の様に全国出張があるSE
・私→書籍や広告などのイラストレーター
だった私たちは、双子を産んでからは
・夫→ほぼ定時に帰れる地元社内SE
・私→件数絞ってイラストレーター
・夫婦→起業・ヘルプ手帳の制作販売・EC事業
という3本の柱になった。
以前は夫も私もぱっくり分かれて仕事していたのに対し、今はそれぞれが家族のために仕事の量を減らし、その分を子育てや夫婦での事業に割り当てている。
夫婦で事業をすると仲が悪くなる説を聞いたことがあったけれど、我が家においては一緒に事業を始めてからの方がかわす言葉も時間も増えたし、信頼も高まった。
考えてみると私と夫は元々同じ会社で働いていたので、お互い仕事をするスタンスやリズムを知っていたというのが大きいのかもしれない。
夜子供たちを寝かしつけた後、一緒に起きてリビングで仕事をする。
ただの同僚だった頃にも、一夫婦だった頃にもない、ちょうどいい緊張感と穏やかな信頼が私たちを包んでいる。
双子が生まれてから、たくさんの喜びと反省を繰り返し、そして人生の新たな舵を切った私たち夫婦。
これが吉と出るか凶と出るかはわからないけれど、この慌ただしく過ぎていく日常を、おばあちゃんになっても私は幾度となく思い出すと思う。