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ヤキトリとトラウマ|食事のルールの話

こだわりというこだわりがなく、物欲も性欲もほぼないのだが
勝てないのは睡眠欲、消えないのは食欲だ。

ただ、欲望にまかせて食べいるわけではなく
数年かけて作った独自ルールのもと、食と向き合っている。
人はこれをこだわりと呼ぶのだろうか。

現時点での我が家の食のルールはざっくり4つある。
なお、現時点と前置きしたのは、定期的に見直しが入るためだ。

  1. 平日は玄米+魚or植物性タンパク質+野菜を使って自炊。肉は食べない

  2. 平日の食材は無添加、無農薬を選ぶ

  3. 調味料として、油と白砂糖は買わない

  4. 休日は食べたいものを好きなように食べる

平日の食卓にことばをあてるのならば「ペスカタリアン」だろうか。

肉は食べないが、魚は食べる菜食主義者のこと。ペスカは魚を意味するイタリア語の「pesce」に基づく語で、タリアン(tarian)、もしくは「arian」 は主義者という意味がある。ベジタリアンと同じく牛・豚・鶏の肉などの肉は食べないが、魚介類は口にする人のことを指す。

weblio辞書

ただし、4つ目のルールにあるように休日はハンバーガーも食べるし
ラーメンのチャーシューも残すことはなく、完全なるペスカタリアンではない。

そもそも、胃腸が強くないこともあって無理して肉を避けている感覚はなく、むしろ、よりおいしく感じるための準備運動だと思っている。

整うために、サウナの暑さに耐えるような感じだろうか。
だから、独自ルールは食へのこだわりというよりも性癖に近い感覚がある。

気を失った日


紆余曲折、試行錯誤、トライアンドエラーを繰り返す中
「平日肉を食べない」という選択に違和感がなかった理由がひとつある。

それは、高級やきとり店で気を失った経験だ。

予約がとれない焼き鳥屋さんに招待された日、おそらく
脂の許容範囲を大幅に超えたのだろう。

消化のため、体中の血液は胃袋へ大集合。脳内に血が不足したわたしは
トイレに向かった瞬間、洗面台の前で気を失った。

幸い、他のお客さんが気がついてくださり
夫が駆けつけた時にはすでに意識を取り戻していた。

自分で歩き席には戻れたが、広くない店内
お店中の人に、「飲みすぎて倒れた女」と認識される結果となった。

ふりかえれば子供の頃から、いいお肉を食べてはお腹を壊し
親に食べさせたことを後悔させていた。

自分には脂への耐性がないことは間違いないようだ。

東洋医学に興味を持ったある日、好奇心程度にのぞいてみると
「肉の脂」と「魚の油」の違いを知った。
どうやら、日本人は「肉の脂」を消化することが苦手らしい。

自分の弱点が国民性だったと安堵したと同時に
肉を毎日食べる意味を失った。

エゴで食べる


俗にいうと、食べ方にはさまざまな考えがあり、情報は飽和状態。
事実は、食事の正解は死ぬまでわからないことだけだろう。

じゃ〜どうしたらいいの!と悲観的になるのは
食欲が消えない自分をも否定することになりかねないので

「自分が食べてどう感じたいか」

を頼りに、食事を存分に楽しむことにしている。

独自ルールは縛りではなく、楽しむためのもの。
運動会の前のラジオ体操だ。

毎日、2回以上食事をするのだから
食にまつわるエピソードが絶えないことも事実。

食欲にだけ素直な自分の感じたことを、
この場に書き記していくことにした。

(次回へつづく)

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