#ジオログ02 |46億年の時間軸から隠岐を見る。かけあわせで生まれる『ジオパーク』の未来とは。
今回取り上げる寺田雅美さんは2019年海士町移住の後、隠岐ジオパークの「海士町ジオ魅力化コーディネーター」として活躍されています。「面白さ(自分自身がワクワクできるか)」「センス・オブ・ワンダー(自然の不思議さに目をみはる感性)」が自分の軸と語る寺田さん。その世界観から見える「隠岐ジオパーク」と実際の活動をお伝えします。
海士町にIターンで移住したことをきっかけに隠岐のジオパークに関わることになった寺田さんですが、以前にも「ジオパーク」に触れる機会はあったのでしょうか?
「ジオパーク」には、2008年から国内でジオパーク活動が始まった当初より注目していました。深く関わるご縁が生まれたのは2015年でしたね。教育系NPOのスタッフとして伊豆高原(静岡県伊東市)で、ある宿泊施設の立上げ・運営に携わっていました。「せっかく伊豆に住んでいるのだから」と週末はほぼ「伊豆半島ジオパーク認定ガイド」講座に通いつめたんです。
講座の中では日本全国に登録されているジオパークのことや、世界に展開している「世界ユネスコジオパーク」にも触れる機会がありました。そこで「地質学的な特異性」は世界中にあり、各地で育まれた自然風景や生物資源、文化があることを面白く思いました。他の土地にもぜひ足を運びたいと興味深く思いましたね。
伊豆半島ジオパークについて
「南から来た火山の贈りもの」と呼ばれる伊豆半島は、本州で唯一「フィリピン海プレート」の上に乗っています。その成り立ちは「海底にあった火山群(火山の集合体)」。それらが北上し続け、本州がのっている「ユーラシアプレート」の下に沈み込みこんだことで誕生した土地です。あちこちにみられる多様な地質学的な特異性が作り出す圧巻の景観が特徴です。
その後の異動でアクティブシニア層向けの生涯学習講座の企画・運営に関わることになりました。「ジオパーク秩父」をはじめ様々なフィールドに出向き、鳥・植物・動物・鉱物、アウトドアクッキング、専門家の方々と座学+野外で学びを深めました。そしてだんだんと「遠くない将来には、個人事業主として働いていきたい」「自然のフィールドを活用し、未来について対話できる場づくりがしたい」と考えるようになり、NPOでの仕事から転職に踏み切りました。自立していくためにもビジネスを学ぼうと、起業支援施設のイベントプランナーに。職種はガラッと変わりましたね笑
あと数年は研鑽を積みたかったのですが、図らずも現在の夫とご縁をいただき、結婚に至る運びに。以前から「いつか行ってみたい!」と思っていた場所の一つが「海士町」だったので、「せっかくのご縁!よし、暮らしてみよう!」と海士町に移住(実際は東京との二拠点暮らし)することになりました。
旦那さんとの出会いが隠岐に来るきっかけになるんですね!
夫は、14年前にここ海士町で「株式会社 巡の環」を、当時ほか2人のメンバーと一緒に創業しています。現在は「株式会社 風と土と」と社名を改め、代表をしています。海士町を自分のふるさと、世界に知恵をひろげるための大切な鍵をにぎっている島であるととらえ、「新たな可能性(風)を、現実(土)に。持続可能で幸せな未来を次の世代に手渡す」と、地域づくり、企業・行政の幹部向け研修や、出版事業を展開中です。自身の働きかた、目指す方向性ともとても近いので、初めは夫の会社で一緒に働くことも考えてみたのですが、プライベートと仕事を混ぜ過ぎたくなかったこと、「地球」という単位での仕事に興味があったため、「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」に携わる仕事ができないか?と考えました。
来島してみて、数年前から進んでいた「ホテル魅力化プロジェクト」について詳しく聞かせてもらい、「隠岐がジオパークであることを活かした、新しいホテルづくりに挑戦中」と現Entô代表の青山さんより伺い、「それは是非一緒に仲間として挑戦させてもらいたい!自分で役不足なところは多分にあるが関わらせてもらいたい」と直談判しました。働き方も目標としてきた「個人事業主」として町と契約して、海士町ジオ魅力化コーディネーターとしての日々が始まりました。
ーEntôとは?ー
Entô は2021年7月、島根県隠岐郡海士町に誕生した「泊まれるジオパーク拠点施設」。”Honest”と”Seamless”をコンセプトに、客室ではジオパークとしての隠岐を存分に味わえる大自然が目前に広がります。拠点施設ならではの展示室やジオパーク職員と共にEntô 周辺を回るガイドも好評です。
泊まれるジオパーク拠点施設 Entô公式ホームページ はこちら→ https://ento-oki.jp/
「Entô」は「泊まれるジオパーク拠点」として、オープン以来さまざまなメディアで紹介いただいていますよね。誕生まで、以降にもどのような道のりがあったんでしょうか?
自分が参画した時点は新しい建物の竣工が始まるというタイミングで、その建物という箱に「私達がどのような価値観を入れ、何を表現していくか」、「住民からの理解・共感を得ながら島内外皆で作っていけるか」のまさに正念場のタイミングでした。
これまでの「マリンポートホテル海士」、前身である「国民宿舎緑水園」には島民の思い出や関わりが詰まっている場所。そうした場所の「リニューアル」なわけですから、「はい、ガラッと新しくなりました!」なんていうのも寂しいし、大切な何かが吹き飛んでしまいかねないし。建物は新しくなっても場に宿る空気感や存在感は変わらずも、新しい空間として進化を愉しめる場にもしたいと強く感じました。
「Entô」が具体的になっていく中で考えていたのは「自分の立場だからこそ言えることってなんだろう」でした。 「泊まりに行く場所」という認識のされ方のままだと、訪れる理由はないわけですが、「ライブラリーがあるから寛げる」だったり、「一人になれる空間や雰囲気がある」だったり、そういう理由があれば来たくなるのではないか。また島外から遊びに来てくれた知人を連れて島前や隠岐のことを紹介するのに利用したくなる場にしたい、学校の授業でも活用してもらいたいし、皆で育てていける余白のある場にしたい、と考えました。
「ジオパーク」×「ホテル」、新しい取り組みですよね。
はい、まさに。新しい取り組みな分、ワクワクと同時に難しさを感じる場面も多くありました。実は「Entô」のホームページでは「ホテル」という表現は使わず、あくまで「泊まれるジオパーク拠点施設」です。「ホテルの建物内にジオパークのビジターセンターを併設」でもないし、「ホテルとビジターセンターが近くにある」でもないんです。Entôはジオパークの目線から「地球とわたし」のつながりを感じられる場所。そして眼下の風景、生きもの、食事、文化、すべては長い時間のものがたりの末に在るということを客室、ダイニング、展示ルーム、ライブラリーコーナー、テラス、ショップ、関わる・訪れてくださる「人」、あらゆるところから感じられる空間として存在してほしい。
国内・海外よりみえる観光客はじめ沢山の関係人口の皆さんはもちろん、普段ここに暮らしている私たち島民であっても、「日常にいながらにして『旅』ができる」と感じて頂ける場を育みたいと思いました。
「ジオパーク」×「ホテル」の2つをかけ合わせることに面白さを見出したのですね。
そうですね。ただ「何かをかけ合わせる」に関して言えばこれまでも常に意識してきたことでもあります。
始まりは大学院在学中のインターン。八ヶ岳山麓の「清里高原」に暮らし、「インタープリテーション」を学び、そこでは「自然」×「人」の出会いの場づくりを行っていました。「インタープリター」という仕事はアメリカのナショナルパーク(国立公園)で始まり拡がった取り組みで、「自然や文化の翻訳者」です。参加者の驚き・関心・気づきから場を展開するコミュニケーション手法で一方通行ではないあり方に共感を憶えました。
でも最初から「かける」を意識した人生ではなかったんです。実際に学生時代は「進化生物学者になりたい」と思っていました。中学の時に出会った生物の先生の影響で「何かを面白がる」ことの面白さを知ったからです。その先生は、仕事としてというよりは一人の人間として世界を面白がって観察しているような人でした。小学校時代までは理科に目覚めていたわけではない私でしたが、その姿が印象的で素敵な大人だ!と影響を受けました。
大学院に進んだ時に「研究職というのは決めたテーマを深め極め、そこを起点に世界をまなざす姿勢が大切。でも私は違う。」と気づきました。色んなものにアンテナを張り、触れ、それらが想像をこえてつながっていくこと自体に面白いと思う気質だなと。だからこれからは「つなぐ」「かける」「混ぜる」ことを愉しもう。その方が自分らしいし、結果的にできることもあるだろう、と。よい気づきをしました。笑
「つなぐ」「かける」「混ぜる」を基準に人生を進んでいく中で大切にしていることはどんなことでしょうか?
「対話・コミュニケーション」は大切にしていますね。私には日系アメリカ人の祖母がいて、幼少時から一緒に住んでいました。言わば「分かりやすい『異文化』」がすでに家庭の中にある中で育ちました。だからきっと、自分自身のルーツにも関心を持ったり、進化生物学に興味を持ったり、多様な文化を尊重しながら対話することは自然だったように思います。「自分にとっての『当たり前』は相手にとっての『当たり前』と、それこそ当たり前に違う。人の数だけ、当たり前がある。」という考え方を肌身で感じて育ちました。
あとは、「面白いと思ったら行く」っていうところかもしれませんね。笑 というか、思ったら行かないと気が済まないというか…。その点において海士町や隠岐は、不思議な磁場のように多様な人が集まる日常で面白いなと感じています。
寺田さんからみた海士町の面白さ、興味があります。
海士町は「まちづくり」で有名ですよね。そして、移住者を寛容に迎えてくれる人たち、長い歴史の中で育まれた「風土」がある。結果的に、たくさんの「かけ算」が起きる面白い場所だと感じています。近年では「ないものはない」という言葉もあるくらい。私がここに住みながらふと気づいたことは、この長い歴史の中で育まれた「風土」というのは、決して「人間の歴史」の中の話に留まらないということ。この隠岐諸島の地質学的な成り立ちとそれに基づく独自のカオスな生態系は「生きものの一つである私たち」につながっているものだなという実感です。
だから「ジオ」の目線でぐっと時間軸を引いて考えてみると、「この土地が面白い」ことは至極自然な流れに感じるのです。
と言うのも、島前3島と島後を含む隠岐4島の距離はそれほど離れていないのに、それぞれの島ならではの生物がいたりします。たとえば天然記念物「ヤマネ」は、現在のところ隠岐では島後にしか棲息しないとされています。(11/22追記:近く島前での棲息調査も予定。) 植物に関しても本来分布域が異なるはずの植物たちががまるで魔法のように混在して暮らしているのがここ隠岐です。高山植物が海抜3-4mのところに咲いていたり。「え、なんでこんなところにいるの?ワープしてきたの?」って笑
植物や動物がそうであるように、私たち人間も動物の1種としてさまざまな土地から集まっている今の状況は、そもそものこうした隠岐の風土が関係しているとも考えられませんか?
ここ隠岐の大地と様々な生きものが長い時間の中で織りなしてきた風土を私たちもあやかっているとも感じられるわけです。私達はつい「人間社会」の眼鏡で、世界や歴史を見渡しがちかもしれません。「人間」が「ヒト」であることを思い出し、時間軸をぐっと引いて考えてみるだけでそんな風に感じられます。
隠岐に限らず各地の地理的風土が、その土地ならではの生態系の複雑さを育み、農作物や水産資源と言う生物資源にもつながり、それらを食したり活かしたりしながら、「人間(ヒト)」の文化がこれまで育まれてきた、という壮大でシンプルな事実。とても奥ゆかしい気持ちになります。
「まちづくり」を「ジオパーク」の観点から見てみたら、そうした面白さがあるのでは?ということですね。隠岐は「人」が強みのジオパークとも言えますか?
そうですね。隠岐のジオパークには「大地の成り立ち」「独自の生態系」「人の営み」という3つのキーワードがあるのですが、「人」が強みというのは「人の営み(文化・歴史)」の要素に当たりますよね。
私は「ジオパーク魅力化コーディネーター」として、この「文化・歴史」について理解と展開を深めたく、「後鳥羽院顕彰事業実行委員会」の事務局としても活動しています。現在の海士町に後鳥羽上皇が遷幸されてから昨年がちょうど800年にあたりますし、「文化・歴史」的な関心で隠岐に行きたい!と思って下さる方が、国内外にもっと増えるといいな。文化・歴史を「まもり・伝え」「未来へつなぐ」ためにも、「文化観光」でのチャレンジも続けたいですね。
ー後鳥羽院顕彰事業とは?ー
隠岐諸島は遠流の地として多くの貴人が配流された歴史を持ちます。後鳥羽院は、承久の乱の後、現在の海士町がある中之島に遷られ、今も町の歴史を語る上で欠かせない人物となりました。文化・芸能に精通し、多くの和歌を残した後鳥羽院。その伝承を継承し、現代に生きる私たちだからこその文脈を加味して未来へのこすことを目的に設立。2021〜2022年の「遷幸800年」には様々な記念事業を執り行っています。
後鳥羽院顕彰事業実行委員会 公式ホームページはこちら
→ https://www.gotobain-kensyo.com/
かけあわせの先に見える未来、これからの思いも重ねてお聞きしたいです。
自分の中では「まだ始まったばかり」という思いの方が強いですね。海士町に必要なことを一つひとつやっていき、結果として、島前や隠岐全体にとって良い展開となるよう取り組んでいきたいです。Entôもまだまだ、「昨夏にオープンしたから一区切り」ではないと思っています。「どうやって新しい『場』を作り続けていけるか」「生まれ続けていくか」を常に考えていきたいですね。また、観光でみえた方や島民の率直な声を聞き流すことなく、この場・空間づくりに活かしていけるかにも心を配りたいです。
そして、海士町に収まらず、隠岐全体、はたまたジオパークのさまざまなネットワークや実社会の企業・個人の思いある皆さんと協調できるコーディネーターでありたいです。隠岐でいえば、学校授業との連携や世界の離島ジオパークネットワークとの連携、またインバウンドをも含む皆さんへの文化観光地としての発信など進めていきたいです。これからも面白いと思ったら飛び込む、声にする、つながるを大事にして、一歩ずつ進んでいきたいですね。
おわりに
言葉を大切にする人。取材を進める中でそんな印象を受けました。一つひとつの言葉の捉え方を丁寧に考え、そこから言動を導いていく姿に十分、研究者気質を感じたのは筆者だけでしょうか。隠岐ジオパークでの寺田さんの挑戦はまだ始まったばかり。楽しみも面白さもたっぷり詰まった未来でありますように。