平和とは何かあれからずっとアタイは考えている
アタイにとって初めて戦争と言う単語を記憶したのは幼稚園に入った年のこと。
祖父と祖父の住む秘境みたいな山奥の田んぼのあぜ道で、祖父がアタイにロシア抑留された時の事を話してくれた時だ。
寒くてお珍の先が凍って大変だった事。
寝て起きたら、隣に寝ていた人が外で凍って居た事。
ご飯が無くてそれでも働く事があって、よっぽど戦時中の方が生きやすかった事。
それでも戦時中の方が人間では無かった事。
多分、アタイは分からないだろう…でも胸が苦しい、それで誰かに話したくて祖父はアタイに話したのだと思う。
父はアタイがとても幼い頃からロシア人とだけは結婚するなと断言して居た。
絶対にそれだけは認めない、と。
その6年後、アタイはサイパンへ家族と父の職場の友人家族とマラソン大会出場の為に向かった。
その時、父はアタイにサイパンで起きた戦争について調べてまとめなさい、と、アタイに行く前に課題を出した。
アタイは小学校の図書館と町の図書館、市の図書館に自転車でぶぃーんと行き、写真を見て頭に記憶し過ぎて帰り道に重苦しくなりながらも、なんとか行く前にまとめきってサイパンへ行けた。
お陰様でアタイは走ってる最中も朝日が昇る美しい海を見ても、美しい岬を案内されても涙が出てしまうし気持ち悪くて吐きそうになるわで大変だった。
唯一、ホテルのプールに現地のfamilyも楽しんでいて、仲良くなった子と遊んだり買物に行けた事、あれは本当に楽しかった。
今もあの時に購入したティシューケースと、一緒に海辺で拾った貝殻は大切に持って居る。
7年後、高校に入ってホロコーストの遺品展示会のボランティアに参加した。
展示会初日前に説明会があり、様々な遺品に対する学びを受けた。
目の前の髪の毛や鞄、眼鏡、靴、洋服。
日常生活のありふれた物。
それなのに、こんなに悲しい物は無いと思った。
展示品を見たおばさん達が
意外と綺麗に遺されたのね、と、言ったのを覚えて居る。
自分の感覚が暴徒化しそうだった気がする。
一緒にボランティアをしていたクリスチャンの男子学生が宥めてくれたのを感謝した。
高校の修学旅行では沖縄を訪れた。
普通の街中にあるガマ。
その中に実際に入り、水滴の音を聞きながら聞いた当時の話し。
ひめゆりの塔で元ひめゆり隊だった方から聞いた当時の話し。
暑くて歩きながらフラフラになりながらも見て回った平和記念公園。
空が青くて、海が美しくて、ソーキそばは美味しくて、現地のおじいもおばあも笑い上戸で、でも、アタイは何処でもまともに笑顔を作れなかった。
小学生の時にサイパンへ行く前にまとめた中の学びの時、かなり見た写真の現場に立ってみると、夏だ海だ修学旅行だヒャッハー!
とは、なれなかったのだった。
その5年後、アタイはウガンダに居た。
『ルワンダの涙』
(原題: Shooting Dogs、
米題: Beyond the Gates)
これを観たアタイはウガンダに、今もその当時からの事によって傷付けられた女性達やその子ども達が苦しみ、日常生活を送る為の場所がある事を含め、他にも様々な想いがあって向かった。
(その女性達はルワンダからウガンダへ流れ着いた方々です。)
教会の牧師さんのお宅に寝泊まりさせて頂きながら、友人と星が降ってきそうな夜空を芝生に寝転がって見上げ、敷地の周りには銃を持ってアタイ達の為に警護して下さって居る方々に感謝の祈りをしながら、今の状況もアタイは檻の中の犬のようにしていないとこの国では生きられない自分の立場の弱さを学んだ。
あれからずっとアタイは平和とは何かを考え続けている。
そして今年、乙武洋匡さんの暴力に対する渋谷から国会議事堂のある永田町迄の大行進を見ながら、心が揺さぶられるのを感じた。
無抵抗なる行進に目から涙が溢れた。
アタイの母方は住職さんだった家系で、生まれた時から曹洞宗の立場からの仏教を祖母から仕込まれた。
父の友人が牧師を目指した事から幼稚園に上がった年から教会へ毎週日曜日に行って、夏休みは浜名湖キャンプに行くのが習慣になった。
成人式を終えて、アタイはバプテスマを受けた。
アタイはクリスチャンからの視線を持つ様になった。
でも、アタイは自分の受けた性被害を牧師や教会の友人に話すと人間では無いかのように扱われた。
それは、アタイが堕胎を選んだ事が1番大きく、結婚をするのは無理なのだと理解せざるを得なかった。
今もアタイは元首相暗殺に関わった人間が旧統一教会により人生が狂わされたと事件を起こした事からの余波で精神的安定が奪われている。
アタイが一時期お世話になった 北海道での教会での2年間とその前後に地元のお宅で生活をさせて頂いた時の苦々しい記憶がカルトと言う言葉、そして、地元のお宅のお父さん(故人)が当時の安倍首相に対して散々な言葉を使って居た事で、アタイの脳みそは安倍首相と当時の辛い時間が結び付いてしまい、今もフラッシュバックしてしまうのだ。
歴史を学ぶと、世界は宗教が戦争を勃発してきた事が分かる。
そして、神を伝えると言う伝道旅行により、時に新しいウイルスの蔓延にもなって来た事も事実だ。
しかし、これらについて、信徒は
戦争は人間が犯した事であり、神が起こしたのではない。
神は人知を超えた存在であり、人間に解決策を必ず与えて来た。
それ故に永続的な争いは無い、と。
そうアタイは学んで来た。
けれども、アタイは結局苦しんでいるのが現実だ。
アタイの両親も妹も離婚を経験した。
アタイは障害者として家族、親族から最悪な扱い方を受けた。
何処に幸せはあるのだろうか。
平和=神=救い
これは、間違いなのか?
平和って、アタイは幸せな日々や時間、記憶だと思う。
美味しいご飯を誰かと食べた記憶やその時の季節や時間。
旅した場所での出会いやトラブルやご当地グルメに風景、流れていた音楽。
日常の中で
よく眠れた日、目玉焼きがやたらよく焼けた日。
快便なのに匂いに笑った朝。
出掛けようと玄関を開けたら空がキラキラして居て眩しくて目を細め笑顔の時。
買物中に店員さんとお釣りのスリーセブンに今日はラッキーですね、と、思わず会話してしまう時。
新しいシャンプーの香りが予想以上に心地よかった時。
洗いたてのシーツに寝そべって、気持ちいい~と、足の指先でシーツをさわさわしてしまう瞬間。
アタイには全部全力で幸せだと断言出来る。
これ以上、何を求めるのだろう。
平和って何なのだろう。
誰かの為に生きるのが平和?
心身壊されたアタイには世界が時々分からない。
アタイは今日も頭の中心に平和について解答探しの自分をそのままにしている。
❋写真はFacebookの乙武洋匡さんの応援ページのフリー素材となって居た、乙武洋匡さんです。