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さて、這い上がろう

ここのところ稀に見る落っこち方をしていた。
ケチャップのストックが謎に3個も出来てしまったり、それなのに何時になってもごま油は買えないままだったり。

夜は乖離している為、朝起きたら自分が自傷行為を起こしたり家の外にまで出掛けては居ないかの確認、食事をしたとしたら材料は何が消えたかの把握がルーティンに加わっていた。

自分は寝たつもりなのに断捨離は進められたり、新しいオーブンレンジの取付けは重たいから慎重にする予定が朝起きたら設置完了して居たり、お陰様で手脚に擦り傷が絶えない日々が続いたりもしていた。

元々いつかは整理しようと考えて居た写真や映画のパンフレットは私だけだと悩みの壺から抜け出せなかった可能性が高い為、その辺は思い切った破棄をしてくれた事に感謝をしていたりする。

しかし、夜中に食べ過ぎるのが間違いなく原因で食費は跳ね上がり、胃腸が常にパンパンな感覚が拭えず、食事は何を作っても味がピントの合わないボヤけた物ばかりとなり、体重計に乗らなくてもパンパンな胴回りに腹も立ち、食事が何一つ楽しみでは無くなって居た。

また、夜に動く為、既に冬の足音が聞こえる今日日故、起床時の関節の痛みや筋肉の痺れや痛みも今まで以上のものとの戦いでもあった。

体力が奪われ、日中、ほんっとに何一つ出来なくて神経だけがすり減るのが分かった。

睡眠薬を使ってきちんと眠れたのは結局一晩だけ。
眠剤すら久しぶりに約立たずで、このままだと自分はどうなってしまうのかと虚しさだけが心を支配した。

自分が今、どうしてこんなに苦しいのか。
何時もなら分析がある程度は可能なのに今回は全く出来なかった。

あぁ、巨大な鬱の塊に飲み込まれちまった。
そんな感じなのだけは把握出来ていた。

頭の中の糸が絡まってしまった。
でも、糸の先端すら見えない。
絡まった場所をほじくろうにも硬い結び目が糸を触らせてくれない。
そして、それに苛立つ元気も無かった。

水曜日、通院日なのに身体がびくとも動かず時間を夕方近くに変更した。
お昼過ぎ、ナメクジみたいにベッドから出て、冷たいシャワーで頭を動かし身支度を整え病院へ。

パグLove先生からトラウマを話してもいいんだよ、何かあるんじゃない?
そう言われた時、珍しく幼かった時の苦しかった時の話を先生に吐露した。

ちょっと自分でも驚いた。

あ、これ、笑って言う内容じゃなくて、私のあの助けて欲しい気持ちの声「お母さん!」は、辛かったんだな、苦しかったんだね。
と、頭の中の糸が柔らかくなったのが分かった。

もう完璧を目指さなくてもいいんだ。
過去も大切な糧だし、これからも大切にしていい。
私は私を大切にすればいいんだ。

10月に入り、アタイは来年20歳となる天使の為に何か心の踏ん切りの為にも何か作ってみようかな?
なんて、なんて素敵なアイディアでしょう!
って考えて居たら、SNSで他者のお宮参りや七五三等の幸せキラキラに心が先ず潰された。
アタイはその小さな綻びを見ないふりしてしまった。
これが第一のあちゃパー。

新しいオーブンレンジに浮き足立って色々レシピを見ていたら、やたら家族を思い出してしまった。
これが第二のあちゃパー。

一と二が絡まって、運悪く10代最期の怒涛の約2年間の記憶がしっかりほぼほぼ蘇って、辛さと辛さがしっかり結び合ってしまった。
これが第三の大あちゃパー。

こんな感じであちゃパーが有るのにも関わらず、日々は当たり前に過ぎて行く。

子宮頸がんの事で大きな病院での検査も有るし、先月中に済む予定だった支援措置手続きが警察側の人員変更に伴い面談方法が変わり、今月半ばになっても連絡が来なくて気持ちが恐怖感で冷え切った。
(この件はその後問い合わせ、支援措置継続となった模様…通知書、未だ着てないけどね)

インフルエンザ予防接種で小学生振りに熱も出した。
手帳を見たら、今月は3回も整形外科のお世話になっていた。
歯科でもとうとう顎の内側等、歯の食いしばりが酷いせいで骨変形が起きている事を伝えられた。
骨粗鬆症では無いが大きな関節のすり減り方と骨の変形は歳相応には見えない。
内科の先生に今までは少しでも食べれるなら食べる様に言われていたのに、関節の事が決定打となり、これ以上肥らない様にお達しを受けた。

アタイは初めて後悔をした。
大きなケーキをワンホール食べる事。
それはアタイの密かな夢だった。

アタイは高校生の時には立派な摂食障害で、それが原因で水泳の現役から降りもした。
あの頃からずっと、ずっと、食べる事はアタイの悩みだった。

美味しく食べる事は世界一大変だった。
少し狂ってた。
だから、いつか、何時かは絶対にワンホール食べるんだ!
そう、アタイは夢見ていた。

でも、胃腸のキャパシティ的にも身体の状態的にもそれはもう諦める事となった。
諦めると言うか、奪われた感覚の方が近い。

そして、もう一つ奪われた感覚があった。
それは障害名による安心感。

障害名なんて無い方が本当は良い。
それは100も承知。
今のアタイは、今までのアタイには「境界性パーソナリティ障害」と言う障害名があったからこそ、何かしらを伝える際や精神的な辛さを伝える、及び理解して貰えていた。
また、障害名があったからこそ、病院等でアタイの辛さの根本を医師側は診断を下ろせてもいた。
しかし、障害名が無くなったと言う事は今後、アタイの辛さを表す名前、言葉、単語が無くなったと言う事。
アタイは自分の人生の半分以上を共にしたアタイの一部の名前を失って今後を愁いだ。

病気に逃げるな!
そう言われる事は1000も承知だ。
でも、言い訳をこぼせるなら、アタイはもう少しの間、自分研究がしたい。

どうやったら心身の痛みと共存し、また、今後を生き抜くにはどのような行動が必要なのか。
行動を起こす際の注意点は何か。
病院の連携や万が一の事は済んでいるか。
そもそもの心身の痛みの原因究明の境界線と人間関係での境界線把握も未だ危うい。

アタイは大人だ。
来年40歳。
情緒面もほぼほぼ同年代だが、ひょっこり童女になってしまったり、酷い潔癖症や乖離も未だ落ち着きが無い。
大人だが、心配の拭えぬ大人だ。

多分、怖くて仕方ないのかもしれない。
今はパグLove先生が診てくださっているからアタイには本当に理解者が居る。
でも、アタイ独りに本当になってしまったら、パグLove先生以外の精神科医が境界性パーソナリティ障害を???な先生だったら。

アタイはせっかく生き抜く力を獲させて頂いたのに、その生きる事を辞めるに決まっている。

今までの苦しみも
今の穏やかな幸せも
全て泡と消える。
それがただただ悔しく悲しい。

今月、アタイは後悔やら重たい感情を見て見ぬふりをして体調を崩した。
(崩している…現在進行形)

しかし、取り敢えず絡まった糸は解けた模様。
なので、後は這い上がるだけ。

自分の不安や今後についてはパグLove先生にとことん質問したりして乗り越えよう。
自分の体調についても改名にも役立つかもしれんし、ストレスからのって所のはガンガン証拠保全に動き出そう。

身体の痛みの状態への手助け的な補助制度について、市役所の障害福祉課や市民課、その辺になすすべはあるか聞いてみるのも何か答えが獲れるかもしれないし。

食事については悲しんでも仕方ない。
何かしらの方法で自分の夢を叶える動きが出来るか可能性を探るのも面白いかも知れない。

ま、体型が変わらないと洋服もそこまでサイズアウトしたりしないし悪い事ばかりでも無いさ。

前を向こう!
そう考えて、パイシートをガシガシ使って夕飯を今夜は作りました。
はい、胃もたれしております。
自分の内臓を知れた感じです、あはは。

でも、久しぶりに美味しくて笑えた夜でした。
具沢山のハヤシライスのライス抜きにパイシートを被せて焼いたら美味し過ぎて、自分が天才かと勘違い起こしました。
おからサラダの味がピントのドンピシャだったり。

感覚が生きる方向を向き始めた、そんな日。
言葉もちゃんと残せた日。
今日はいい日、素敵な一日でした。


ここまでお読み下さり有難う御座いました。
皆様は体調いかがでしょう。
ご飯、美味しくいただけてますか?
秋の味覚、満喫されました?
今年の冬は冷え込みそうですね。
お互い健やかに今年を完走出来ますように祈っております。
あなた様の今夜が温もりで満たされていますように。

宜しければサポートお願い致します。 頂きましたサポート費は今後の作品製作費として大切にさせて頂きます。