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辛さの内省

昨年からアレルギーに対する資料をバンバン読み漁り、それを元にしてアレルギー内科と皮膚科ら耳鼻咽喉科をきちんと分けて治療を丁寧に行った。

功を奏してアタイの体調回復は目覚しいものが昨年見られた。

しかし、同時に自分の食べられて来た物でも今後の体調を考えると苦しさを繰り返したくないが故、食べられない食物が増えた年でもあった。

自分が飲食をしてお腹を壊す、蕁麻疹が出る、時に吐き気や呼吸苦、発熱に繋がった理由を学び知る事でそれ等の摂取をアタイは取り止めた。

お腹を壊す事が第一に減り、蕁麻疹等も滅多に出なくなった。

でも、同時に食卓や食へのアレ食べたい、アレを作りたいと言った食べる気持ちの根本が削られたのも確かだった。

辛い時こそアタイはキッチンで立ち直って来た。

自分の作る一つ一つで自分が元気になれると信じたし、それにはどうしたら良いかな?
新しいレシピ、今日はどんなのが出たかしら?

アタイは腹が痛かろうが痒かろうが楽しみを元気に繋げて行っていた。

お料理は切ったり煮たりと、自傷行為から自分を遠ざける役目も持つ。
自己の持つストレッサーを断ち切る事が出来るのだ。
また、作り終えたら自分が美味しく食べられると言う最後迄自分に良い事しか無い。
(その為、精神科のデイサービス等ではお料理の時間がよく設けられる)

でも、去年の夏の大きな疲労の後から特にだったのだが、一時期潔癖症が悪化してお皿やお箸が汚く見えてお箸は割箸、お皿類にはラップ等を洗った上で設置しないと食べれなくなった。

思い返せばあの時から母上への事で頭を悩ませ始めていて、フラッシュバックによりアタイの潔癖症が悪化し始めたのだろうと思う。

そして怒涛の乖離時期と人格障害により自己の乗っ取ら時期が1ヶ月以上続き、アタイは最終的に酷く浮腫、使うのを必死に辞めた睡眠薬をまた使う事と成った。

悔しくてあの時は泣いた。

睡眠薬を断つ時、本当に大変だったのだ。
それが一瞬の様な体感で自ら医師に処方を願わねばならぬ何とも言い難い無念感。

無力感の方が大きかったかも知れない。

今は大分戻りつつあるが、実は未だに割箸でないと口に物を運べない。
(SDGsを一応気を使って竹箸はえらんでいるが)

自分の行いたい未来への地球環境への配慮が出来ない。
自分が自分のケアを行いたいのにままならぬ日々。
ただただ悔しい時間が折り重なる。

去年はまともに作品を作り上げられ無かった。

途中でアプリを消してしまい、幾つかの作品のひな型を無くし、過去の作品も消えた。
あの時の絶望感もただならぬ感覚だった。

衣食住、3大欲求とは本当に人を成り立たせるのだと改めて納得する。

多分、食べれて居たら母上からの刺激にもエネルギーを持って対抗出来、もっと違う状態で切り抜けただろう。

人間の身体はよく出来ている。
惑星より海の中よりも複雑でまだまだ解明されて居ない事が沢山あって、研究しがいがある。

身体を学ぶのは本当に面白い。
また、その他者心理模様はよく見える
(考えたり想定し易い)
が自分への感覚がまだまだ乏しい為、アタイは自分の昔を知り癒す為にも自分の心理を大切に学びたい。

内省と言語化。
アタイにはこれによる認知行動療法が1番情緒的成長の促し及び自己の困難時の解決に役立っている感覚が強い。

食べられない物への執着を捨て、食べれる食材の範囲で美味しいを楽しみ前へ進みたい。

ちぬぐすい。
人は食べる事で生きているのだ。

命どぅ宝。
自分の生きるをもう少し気長に見守ろうと考えた。

宜しければサポートお願い致します。 頂きましたサポート費は今後の作品製作費として大切にさせて頂きます。