忖度しない子どもたち
どの学校でも学級崩壊が話題に挙がるであろう。
教師に刃向かう、教師の言うことに従わない、など、学級崩壊と言われるクラスにはさまざまな行動が現れる。
このような児童の姿は、まさに「忖度しない子どもたち」と呼べるのではないだろうか。
現任校は、まさに「忖度しない子どもたち」だらけである。
教師が一方的に授業を進めても、普通の学級ならおそらく子どもたちは板書をノートに写し始めるだろう。
しかし「忖度しない子どもたち」はそんなことはしない。
教師が一方的に授業を進めると、寝る、友達としゃべる、作業する…このような行動が日常茶飯事である。
興味がない、つまらない、と思ったことには、耳を傾けない。
そのときに教師の力量が試される。
子どもたちのそのような姿を目の当たりにしたときに、みなさんならどんな行動をするだろう…
もちろん、私が正しい答えを持ち合わせているのではない。これは、教師自身が試行錯誤して、答えを見つけ出さなくてはならない問いなのだ。
きっと「忖度しない子どもたち」には、「先生の話を聞いても意味がない」という本心があるのだろう。
これまで出会ってきた教師の影響もあるのかもしれない。
だから一度学級崩壊を経験した学級は、また再び、些細なことをきっかけに崩れていくのだ。
「忖度しない子どもたち」が一定数学級には存在し、その子たちをどう授業の中に巻き込んでいくのか、このことについては、よくよく考えていかなくてはいけないと思う。
ややもすると、私たちは、自分が思う正解を子どもたちに押し付けてはいないだろうか。
「前ならえ」をすると、ピシッと手が伸びていないとだめだとか、肩と平行に手が伸びないといけないとか…誰かが決めたルールに従って、子どもたちをその型にはめていこうとしていないだろうか。
もちろん、これは私自身にも言えることである。
誰かが決めた型に沿って子どもたちをその型にはめ込もうとすると、「忖度しない子どもたち」はその型からはみ出してしまう。
そして入る型がなくなってしまう…
「忖度しない子どもたち」は、ある意味で、正直者の子どもたちなのかもしれない。
「忖度しない子どもたち」との授業は、実に楽しい。予想もしなかったような答えがどんどん返ってくるからだ。
「子どもってすごいな!」と改めて感心する。
私は「忖度しない子どもたち」に寄り添い、全員がわかる、楽しい授業を目指していきたいと心に誓う今日このごろである。