「あるもんで」
「あるもんで」と言うと、私が最初にイメージするものは夕ご飯の献立である。
夕ご飯を冷蔵庫の中のあるもんで済ます。これは一見簡単であるようで、なかなか主婦スキルを必要とする事なんじゃ無いかと感じる。だが今回の記事は夕飯の献立や料理の話をする訳ではない。
「あるもんで」が今年の私のテーマなんじゃ無いかと最近感じる。
今までは「無い」事がやたらと気になった。趣味にしても料理にしても必要な材料や道具が無いことが気になってしまう。それで結局無いものを求めて買い物へ行くのであった。一度しか使ってない調味料、しまいっぱなしなってる道具。いつの間にかそんなものがアチラコチラに溢れてくるようになった。
買うこと自体がひとつの気晴らしになってる部分があった。買っただけのものが家には山ほどある。私はモノが多ければ多いほど安心するので、大抵は安物買いの銭失い。100円ショップの文具や雑貨が数多い。それらのほとんどはまだ封も開けられずしまいこまれたままである。
意識が変わったのが、今年の年明け。今年はお金を遣わない年にしよう、と何となく思った。強く思った訳では無いのだが、何となくこの気持ちがうっすらと継続されている状態が続いている。
お金を遣わないために何か特別な家計管理を始めたのかというと、そんな事も無い。お金をカテゴリに分けた封筒に入れるだとか、家計簿の中身を見直すとかそんなことは一切していない。単純に必要に駆られるまでお店に立ち寄らなくなっただけである。ネットショップの巡回もしなくなった。セール情報をこまめにチェックすることもない。
大きな変化としては、冷蔵庫が空っぽになった。スーパーに行くのも週に1度か2度である。今まで冷蔵庫が食べ物で溢れるのは冷蔵庫が小さいせいだとばかり思っていた。まあ確かに我が家の冷蔵庫は小さめかもしれない。だけどそんな小さめの冷蔵庫でさえ持て余すほど、冷蔵庫の中身はスカスカになった。
もう一つの変化はお金の減るスピードである。以前は1万円札を財布に入れると1週間で消えてたのだが、最近は2週間以上かかることも増えた。キャッシュレス決済をする事も多いからなのだが、それにしたって財布の中のお金が全然減らない。
趣味の手芸や読書も今は手持ちのものだけで楽しんでいる。多分全く買わなくても数年は充分退屈しない程度のモノがある。
突然ダイエットの話をするのだが、ダイエット中に食べるのを我慢するようなダイエットをすると、私のように意思の弱い人間は、そのうち反動が来て、食べるのを止められなくなる時がある。そうしてリバウンドにリバウンドを重ね今の豊満な肉体を手に入れた(別に手に入れたくはなかった)
節約というのも買うのを我慢するだけのやり方ではいつか反動が来てしまう。
そりゃ、我慢を重ねられるような固い意思と強靭な精神を持っているのならよほどいいのだろうが、残念ながら私はどちらも持ち合わせていない。
あるもんで生活で心掛けてるのは「楽しむ」ことと「無理はしない」ということである。欲しいものがあれば別に買ってもいいと思ってる。だけど買う前に家の中を探索するようになった。家の中にあるもんで済ませられないか。この探索をゲーム感覚で楽しんでいる。ピッタリのものが見つかるとガッツポーズである。
その繰り返しにより、私はモノを買い集める日々の頃より充実感を感じるようになった。
冷蔵庫の中の残り物で作ったスープがとても美味しい。
買うだけ買って積読になっていた本を開くと、とても面白く、気づけば夜中まで読書に没頭している。
積み上げられた毛糸も、増やすのを辞めた途端次々に役割が決まり、私のこころをワクワクさせている。
使わないモノはどんどん手放している。折り紙や毛糸の寄付を行った。いずれもとても喜んで頂けた。モノは減ったのに私の心はより軽やかになり満たされている感覚になった。
モノは役割があって初めて私たちの暮らしを豊かにしてくれるのだと最近気付いた。
あるもんで暮らし、とてもいい。モノを買うのを辞めてから、私の暮らしは豊かである。