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わたし、発達障害でした

他の発達障害当事者が自分の障害に気づく時ってどんな時なんだろう。子供の頃、専門の人に指摘されて?二次障害で精神科に行ってから?友人知人からの指摘?

私が自分の障害に気がついたのは、障害者支援施設で働いていた時である。知的障害者の施設で、当然自閉症の方もいらっしゃる、そんな所で私は上司から「自閉ちゃん」と呼ばれていた。

今にして思えばパワハラ?モラハラ?なのかもしれない。ただ私はそのあだ名をつけられてから自分は他の人と違うんだと言うことを改めて意識することになった。

私が他の人とどこか違うと思い始めたのは、小学生の頃である。他の人にできることが、私には難しい。整理整頓ができない、忘れ物が多い、不器用。色んな違和感があったが、何より私を苦しめたのが「他の人の考えている事が分からない」と言うことである。他の人と自分との間には薄いヴェールが張ってあるように、相手の言う事は常に不明瞭であったし、その表情が意味するものは、その言葉は何を表しているのか、さっぱり分からなかった。面白い事に、そんな私だが国語の成績は良かった。言葉の意味は分かるのである。でもそれが人の口から発せられた途端、どういう意味なのかさっぱり分からなくなる。

クラスでは当然だが浮いた。いじめられることもなかったが、いわゆる「腫れ物」のような扱いを受けた。私も他人の考えが理解できなかったが、周囲の人たちも私の考えを理解できなかったのである。突然怒り出したり、泣き出したりする私の事を、周囲の人たちもどう扱っていいのか分からないといった感じであった。

だけどそれは子供の頃のうちであろうと、楽観的に捉えてる部分があった。サナギから蝶に生まれ変わるように、私もいつか普通の大人になるもんだと思っていた。私は醜いアヒルの子のようなものなのかもしれないとも思った。今の姿は仮の姿なのだと思いたかった。

ただ、周囲と自分との隔たりはいつまで経っても埋まる事は無かった。田舎の小さな中学校を出たあと、同級生が300人以上いる高校に進学すると、いよいよ人の事が分からなくなった。その頃二次障害でうつになった。

いつ私は普通の人間になれるのだろう。普通の人になれる日が来ることが、私の数少ない希望だったが、その希望も徐々に持てなくなっていった。

障害者施設で働き始めるまで、ずっとフリーターで、仕事を転々とした。即日雇ってくれる所に片っ端に飛びついた。接客、工場、飲食‥どこにいってもうまくいかなかった。障害者施設へ面接に行ったのも、前職がうまくいかず、ハローワークへ逃げ込み、必死でで飛びついた仕事であった。福祉になんて興味は特に無かった。職を転々としていた私は貯金がほぼゼロであったため、すぐに仕事を始めなければならなかったのである。

そこで、冒頭で触れたように「自閉ちゃん」とあだ名をつけられたのであった。

大昔に通っていた精神科に「発達障害ではないか」と聞きに行くも、「あなたのは個性」と一蹴され、発達障害の診断を行う病院へ問い合わせると半年後に予約が取れた。かつて受けた知能検査の結果を手に病院へ行って検査を受けた結果「高機能自閉症」と診断されたのであった。

恥ずかしながら「自閉ちゃん」と呼ばれるまで、私が仕事でうまくいかないのはその職場のせいだと思っていた。ブラック企業につかまってしまった。そんな風に思っていた。だけど、上司が私にガミガミ怒るのも、言われた仕事がちっともできないのも、ありえないミスをするのも、私の特性によるものだった。

その気づきは深い絶望のようでもあり、大きな希望のようにも感じた。
私と周囲の間にあるヴェールが外れることはきっと無い。でも生きづらさの理由を知った事は今後の人生で生きる上で大きなヒントとなると思った。

そこから私の生き直しの日々が始まるのであった。

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