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自分のことを大事にするって多分こういうこと。

最近、「元気になったね」と言われるようになった。私自身、本を読みたいと思うようになったこと、文字を書く頻度が増えたこと、「こんなことがやりたい」と少しずつ意欲が芽生える自分に、あぁやっと調子が戻ってきたと感じられるようになった。本格的に適応障害の症状が現れてからここまで、1年かかった。

適応障害になって、猛反省したことがある。それは、死が頭をよぎるところまで自分を追い詰めてしまったこと。"死なない子を育てる"を信念にしていた自分自身が、死にそうになっていた。でも一方で、教育に携わる者として自死はありえないという想いに助けられもした。
自分のことは好きなつもりだった。でも、私は自分のことを大事にしていなかったのだと思う。

東京で仕事を始めた頃の私はまだ、自己効力感がとても低かった。仕事すること・誰かの役に立つことで自分の存在を確認していた。20連勤、熱を出して2日休み。また20連勤。この時は、人生の中で死ぬほど仕事に打ち込む時期があってもいいじゃないかと思ってこんな生活をしていた。今思うと信じられないけど、自己犠牲は気持ちがいいからね。
でも良かったこともある。必死に仕事をして身につけた能力は私に自信をくれたのだ。メンタリングも定期的に受けながら、徐々に自分で自分を正当に評価し、認めることができるようになっていった。

あるメンタリングの時、精神的にグーパンチをくらった。
私は「大事にされていない。大事にされたい。」と言った。メンターは「どうして他人があなたを大事にしないといけないの?」と返した。
"え、他人て大事にしたり尊重したりするものじゃないの?"と私はパニックになったのだけれど、メンターが言いたかったのは「自分のことを大事にできるのは自分だけ」ということだった。

さて、自分を大事にするとはどういうことなのか。これが分かったようで、分からなくて。でもやっと、それはとてもシンプルなことだと気づいた。

自分を大事にするとは、自分を幸せにすること。自分を喜ばせること。
自分の好きなことをする。そのための時間をつくること。
自分が嫌だと思うもの、自分を悲しませるものからは離れること。

自分の感情を後回しにしない、というか最優先にすることなのだ。
これが頭で分かってはいても慣れなくて、私にとっては難しいことだった。
その解決策として、"自分さん"という人格を客観的に見るようにしている。自分さんという親友がいるみたいな視点。「あーこれ今自分さん喜んでるな」とか、「さてはこの分野は苦手だな」とか、自分と会話するつもりで擬人化するとちょっとおもしろい。

それと、体のサインを優先すること。社会人をやっていると、頭に体を合わせる方が多いんじゃないだろうか。"頭痛いけど、今日は大事な会議があるから薬を飲もう"とか。なんなら、"なんでこんな日に体調崩すんだよ"ってイライラしたりとか。でも体のセンサーってすごくって、何千キロも先の台風に影響を受けて関節が痛んだり、目に見えないどこから来ているのか分からない花粉に悩まされたり。体は私たちが頭で感知できないことも敏感に感じとる程優秀なのだから、体のサインを大事にすることは確実に自分を大切にすることになると思う。

自分のことを自分で大事にできていると、他人に依存しなくなる。気が合う人と仲良くすればいいし、何か合わないなと思ったら"今は縁がないのかも"と思っていい距離感を持てばいい。褒められたら素直に喜んで、悪口を言われようとも別にその人が卑怯になるだけなので別に凹む必要もない。

日本では"他人に迷惑をかけるな"と言いがちだし、私の育った出雲地方などは、一歩も二歩も引いて人に合わせる文化なので、"自分の心を優先して生きる"なんて、言われたことがないばかりか罪悪感を感じるレベルである。でも、人なんて本来生きているだけで迷惑をかける生き物だ。迷惑をかけることもあるんだから、人様の迷惑も許せるようになればいい。自分の幸せの先に、他者の幸せもある。そう思うようになった今、とりあえず私は生きるのが楽になった。

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